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東白石中学校2年 高木優美
みなさんにとって、「幸せ」ってなんですか。世の中にはたくさん幸せがあります。その分たくさん不幸だってある。そこで私は「幸せ」を感じることは「幸せの余白を感じること」であると考えました。
家族、友人、学校の先生に調査をすると様々な回答が得られました。寝ることや、食べることが幸せという人、家族にご飯を作って喜んでもらえたときが幸せという人、何かを買ってもらったり、作ってもらったときが幸せという人、友達と遊んだり、協力して何かを作り上げたときが幸せという人。本当に様々な幸せがありました。そこで、「幸せとは何か」という疑問が浮かびました。
私は世の中の全員が幸せになることは不可能なのではないかと考えました。人はみんな幸せに感じるものが違います。
相手のためになにかすることを幸せに感じる人から見ると、自分のためになにかすることを幸せに感じる人は「自分勝手な人だな」と感じてしまうかもしれません。
そういうすれ違いが、結果的に誰かの不幸を生んでしまうのだと思います。
どうしたらいいか私なりに考えた結果、「人の価値観を否定しないこと」と「実現したいこと」を両立するために考え続けることが、解決への近道だと考えました。価値観はその人が生きてきたうえで培ってきたもので、その人の人生を表すと、私は考えています。だから、価値観の否定はその人の生きてきたことや、今まで感じてきたことも否定してしまうのです。「馬鹿だ」「無駄だ」と簡単な言葉で否定することが一番良くないことなのです。その人の気持ちをすべて理解するとまでいかなくても、そんな人もいるよなぁと、もっとおおらかに受け止めるべきだと思います。
しかし、それでも時には自分の意見や欲求が大切なときもあります。もし、この世の全員が同じ価値観だとしたら何も生まれません。間違っていることも誰も指摘せずそのまま進んでいく。私はそれを幸せだと思いません。
ぶつかることが100%悪いわけじゃないし、競争は時に人を成長させます。ただぶつかり合う中で一番大切にしないといけないことが、「相手を否定しないこと」です。「あなたの意見もわかるけれど、私はこう思っているんだ」というように、相手の考えを受け入れることができるといいな、と思います。意見を出してくれることは当たり前ではないので、言葉の向こうにいる相手のことを忘れてはいけません。
ただし、ここまで言ってきたけど、これを実現することは私にも明確な解決方法がわかりません。ただわからないなりに考え続けるしかないのです。
では、何を考えなくてはいけないのか。それが「幸せの余白」なのです。
私は去年、NHK全国学校音楽コンクールで全国大会出場の経験をしました。今までにない大舞台でたくさんの人に自分たちの歌を届けることが叶い、「今は幸せだ」と当時は思っていました。しかし、今年の大会では、二年連続全国大会出場の夢が惜しくも叶わず、悔しくてたくさん泣いて落ち込みました。でも、この経験を通して去年の全国大会出場がどれだけ難しいことで、どれだけ多くの人に支えられていたのかということに気づく事ができました。そして、「次の大会では絶対にまた全国大会に出場するんだ」という大きな決意に繋がりました。
この時、幸せは誰かと生み出し合うものだ。そう気づきました。
「人生最大の幸福は、愛されているという確信である。自分のために愛されている、否、もっと正確には、こんな自分なのに愛されているという確信である」これはヴィクトル・ユーゴーというフランスの文豪が残した言葉です。
自分が幸せなときは誰かが何処かで与えてくれているし、逆に私も知らないうちに誰かの幸せに貢献しているし、誰かの不幸を救っている。幸せとは言い切れない部分も幸せの価値観を作っている大切な時間だ。そう思うと、自分に関わってくれている友達や、家族の至らない点を愛してあげることが当たり前で特別なことなのです。毎日はできなくても、自分が幸せを感じたときに相手にちゃんと感謝を伝えられるような人が増えるといいな、と感じます。つまり、「幸せの余白」とは、「当たり前の価値に気付く」ことなのです。
誰しもまちがえてしまうことも、落ち込むことだってある。それでも誰かを元気づけたり、励ましたりすることって、人間を生きてるって感じるのです。これは価値観も年齢も性別も超えてできることだと思います。
幸せはいつだってすぐそこにある。
本当の幸せは、幸せにはなりきれない、不幸まではいかない、この「余白」を知ることなのであると私は思います。
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