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北白石中学校2年 佐藤美優
「死ねよ。」あなたは「いつ」「どこで」「なぜ」言ってしまったのか覚えているだろうか。おそらく、覚えていないよ、と大半の人が答えるだろう。
「死ね」という言葉は人に言ってはならない言葉だと、私は教えられてきた。しかし、今は違う。
例えば、教室で何か少しでも嫌なことがあったとき、「死ね!」と、謎にささやく。プリントを取りに行くのを忘れてしまったクラスの人に「死ね!」。「当番だから、ちゃんとやってよ。」と言えば、「死ね!」と言葉を返す。仲の良い人同士の会話でも「死ね!」と笑いながら何度も言い合う。———謎だ。———
このように、様々な場面で耳にする「死ね!」この言葉を使う場面や人間関係にもよると思うが、もっと言葉を大切にしてほしい。
私が小学校高学年のとき、人を傷つける言葉を言った人に、「それって、言っちゃダメだよ。」と言ったことがある。別に喧嘩ごしでもなく、当たり前のことを言っただけだった。しかし、「死ね!」などの言葉を次々と私に浴びせかけ、酷く傷ついた。それ以来、正しいことだけど、それを言葉にすることが怖くなった。そして、注意を促していた周りの人も、何も言わなくなった。未だにその時のことは忘れられない。
中学校に入学して新しい仲間との出会いもあり、みんなはちょっぴり大人になった。だが、やはり、「死ね!」「キモイ」「うざい」の言葉は消えない。「言葉の価値」は明らかに軽くなり、常用される言葉になっている。それだけじゃない。この言葉は無意識のうちに誰かを傷つけることで、快楽を得られる言葉にすらなっているのだ。また、「死ね」の落書きは、公園のトイレ、学校の看板、校舎の壁にまで書かれることもあった。
人はとても繊細な生き物だ。
だからこそ小さな言葉で傷つく。時には大切な自分の体を自ら傷つけ、命さえ絶ってしまうこともあるのだ。現に、「いじめ」の加害者には「いじめ」をしているという自覚がない。「遊びでいじっていただけ。」「冗談でラインに書いただけ。」「本人も『死ね!』と言われて一緒に笑っていた。」と言う。そんなはずはない。「いじめ」の加害者は言葉のもつ意味や価値を知るべきだ。さらに、もっと多くの人も『言葉の価値』を考えてほしい。そして、身近にいる人が被害者のSOSを求める声に耳を傾けてあげてほしい。
さて、あなたは『言霊』という言葉を知っているだろうか。日本の古の人々は、言葉には「魂」が宿っていると信じていた。言葉を発すると、その言葉通りになるから、「死ね。」なんて言えなかった。さらに、こんな現象もあるそうだ。言葉には特別な力があり、いつもその言葉を言っていると、いつか必ずその言葉が自分に戻ってくる。この現象は「ブーメラン効果」と言われるのだと。このことを知り、私は、「これこそ、言葉を大切にする日本人の精神ではなかったのか。」と強く共感した。
今、私たちが大切にしなければならないものは「言葉」だ。そして、時には立ち止まり、『言葉の価値』を考えてみてはどうだろうか。
そうすることで、傷つき、自ら命を絶つ人が減るのではないか。
では、もう一度問おう。
「死ねよ。」あなたはこの言葉を、「いつ」「どこで」「なぜ」言ってしまったのか覚えているだろうか。
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