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皆さんは、「認める」と「受け入れる」の違いは何だと思いますか。
私は小学5年生の時に、学年合唱の伴奏者を務めたことがあります。ピアノ教室に通ってプロから教わっていたわけでも、生まれ持ったピアノの才能があったわけでもない私にとって、その挑戦は「やってみたい」という好奇心が先走った無謀なものだと思います。
伴奏者に選ばれてから当日まで、家でも学校でも何時間も楽譜とにらめっこし、ピアノに張り付いたあの数週間。選ばれたからには絶対に成功させよう、みんなと一緒に素晴らしい合唱を作り上げよう、そう意気込んでいました。
けれどそんな練習もむなしく、本番は散々なものでした。先生が横でとるリズムの音と、友達が歌っている歌声しか聞こえないような、アカペラと言われれば納得してしまうほど拙い伴奏。伴奏の前に友達が「頑張って。応援してるよ。」と必死に励ましてくれた言葉。伴奏が止まってしまった時にも「焦らないで」と先生が励ましてくれた言葉。それらすべてが意味を成さない程、当時の私は緊張し、今にも挫けてしまいそうでした。
そんな合唱も終わり、「もっとこうすれば良かった」、「なんであの日もっと練習しなかったんだろう」と一人で何度も何度も反省をしているうちにあっという間に下校の時間となり、友達と帰ろうとしていた時でした。その時、友達が躊躇いながら私にこう言いました。
「○○ちゃんが、弾けないなら伴奏やらなきゃいいのに、って言っていたんだよね。」
当時の私にとってその一言はあまりにも冷たく、傷つくには十分なものでした。私の落ち込んだ顔を見たからか、その子はフォローするように慌ててこう言いました。
「でも○○君は、この短い期間であそこまで弾けるなんて凄いよねってすごく褒めていたよ。」
この一連の出来事は、4年近くたった今でも昨日のことのようにはっきりと覚えています。そして私はこの出来事から学んだことがあります。それは、「価値観・考え方の多様性」です。当時は努力を馬鹿にされたようで落ち込んでいました。ですが月日の経った今、「弾けないならやらなきゃいいのに」という意見も納得することが出来ています。
そしてこれは、現在聞く機会も多くなった「多様性」という言葉にも関係があると思います。ジェンダーレスなど性別に関する多様性はよく耳にしますが、「皆さん一人ひとり考え方が違う」ということも、多様性に関係があると思うのです。様々な物事を様々な人が様々な視点から見ることで、多様な考えが生まれる。それは毎日毎時間当たり前に起きることであり、どの意見もその人なりに導き出した答え、正義なのです。
そんな多様性を意識する中で、私は「多様性は認めることはあっても、すべてを受け入れる必要はない」と考えるようになりました。今回のような個人同士の場合、本人自身のこだわりや考えが軸になります。すべての人々の意見を様々な場所で叶えようとするのはとても難しいことです。そう考えると、「認める」と「受け入れる」には大きな違いがあると思いませんか。
多様な生き方が認められ始めているこの時代をどう生きるか。それは私たち自身が決めることです。多様性を認めるための第一歩を踏み出し、新たな考えや価値観を持って生活してみませんか。
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