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産まれる。幼稚園や保育園に入る。友達ができる。その友達と同じ小学校に入学する。一緒に卒業して中学校に進む。同じ地域に住み続ける。誰にとってもあたりまえのこと。でも、私にとっては特別なことでした。
私には出身地がありません。「ふるさと」と呼べるような場所がないのです。私は父の仕事の都合で、これまでに石川県、福岡県、広島県、宮城県、北海道と、一道四県に住んできました。だからどこを出身地と呼び、どこを「ふるさと」と呼んでいいのかわかりません。
ただ、思い入れの深い地域はあります。それは宮城県です。他の地域は長くても3年しか住んでいないのですが、宮城県は小学校1年生から6年生の春まで、5年余りを過ごしたからです。
宮城県に引っ越した最初の頃は、新しい友達ができてもどうせまた、すぐに別れるんだろうと思っていました。でも3年経ってもやって来ない転校に、私はだんだん友達との別れを気にしなくなっていきました。転校の可能性を忘れて、友達と接することができるようになったわけです。
いつの間にか、「新しい友達」は、「親友」に変わっていきました。一緒に登下校をして、休み時間も廊下ではしゃいで、放課後も時間を忘れて一緒に遊ぶ。そんな毎日が続きました。
「卒業式で袴着たい?」ある日、親友にそう訊かれました。真っ先に想像したのは、矢絣柄の袴を着た自分の姿でした。以前その親友と一緒に「かわいいね」と話したのを想い出したのです。
体育館のステージ上で卒業証書を受け取り、大勢の人たちを見渡すと親友が微笑んでいる。そんな情景を想像しました。
そんなことがあって、初めて、卒業式や中学校のことを意識しました。中学校という新しい場に少しだけ特別感を抱きましたが、きっとそれ以外は変わらない、そう思えました。いまみたいな何気ない毎日が、普通に続いていくのだ、そう感じていました。知らないうちに、いまの学校で、いまの友達と一緒に過ごすことが「あたりまえ」になってしまっていたのです。
「ごめん。転勤が決まった。6月中には転校しないといけない」六年の5月。父は言いました。いつか転校するんだろうとは思っていました。でも、友達と一緒に卒業できないと感じなくなっていた私は、悲しくて悲しくて、もうどうにかなりそうでした。
あたりまえのように友達と挨拶を交わす。あたりまえのように一緒に学校に行く。あたりまえのようにくだらない話で盛り上がる。そんな普通の毎日が普通でなくなる。それだけで涙が出てきました。私は「転校」が目の前の現実となって初めて、「あたりまえ」が「あたりまえ」ではないことに気づきました。
宮城県での経験は確かに悲しいことでしたが、私に何か、大切なことを教えてくれたように思います。
「あたりまえ」は「あたりまえ」ではありません。私たちの思っている「普通」や「日常」は、簡単に変わってしまいます。「あたりまえ」こそがほんとうの「特別」なのです。
おそらく「幸せ」とは、身近にあるものです。私たちが「あたりまえ」と思っていることは、実はかけがえのないものなのです。
あたりまえでいられることの特別さ。気づかないほど近くにある幸せ。そんな、さりげない毎日の豊かさに気づけるようになったことが、確実に中学校生活を充実させる糧となっている。
いま、私はそう感じています。
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