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日章中学校3年 細川流星
「夢の形」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか?
「形?何それ。」、そう思ったことだろう。
私はその「形」と「きれいごと」についてこれから話をしていくのだ。
私は先生になりたい。小学生からの夢だ。でもそうじゃない。
私は「先生」になりたいのではない。私は「本質を伝え抜く先生」でありたいのだ。
この違いは小さな言い換えのようでいて、私にとっては決定的な差がある。ただ教える人になりたいのではなく、知識や教科書の紙面に載る事実の背後にある意味や、言葉にならない大切なことを、どこまでも丁寧に届け抜く存在でありたい。
そうありたいと思うようになったのは、一人の先生との出会いだ。
私の学校はまさに見本としたくなるような素敵な先生ばかりだ。その中でも、その先生の授業への情熱、勉強への探求心は並外れていると思う。
その先生は社会科担当だ。しかし、私は社会が嫌いだった。
地理は小難しい言葉が並んでいて、歴史はただの過去。学ぶ必要のないもの。そんな存在だった。
「何万人が犠牲になりました。」そんな紙面を見つめて、私が思うのは「かわいそう」。
ただ、ただ、それだけだった。
しかし、違った。そこに辿り着くまでの様々な出来事の交錯。「かわいそう」の一言では済ませることのできないほど、多くの悲しみや願いがその歴史にはある、と教えてくれた。
また、ある出来事が「正義」として教えられている一方で、その裏では沢山の犠牲や涙があったこと。
別な立場なりの「正義」があったこと。そんな風に、語られなかった側面も掘り起こしてみることを教えてくれて、両面から物事を捉える視点をもち、そこに自分なりの考えを見出すことこそが、今を生きる私たちに必要な理解だと「ハッ」と気付かせてくれた。
今の私は歴史を多角的に捉えて、繋がりを見つけることの喜びを感じている。
そして何より、理想論のように見えていた言葉が自分の中で本当の言葉として響くようになった。
すごい。すごい。視界がまるで変わった。先生の教えてくれたことから自分の夢のカタチができただけなのに。本当に驚いた。
この先生との出会いから、私の夢のカタチは「本質を伝え抜く先生である」ことになったのだ。
しかし、夢の話や「本質を伝える」ということはきれいごとに聞こえたかもしれない。ふわっ、として見えたかもしれない。実際なにが“本質”なのかは人によって異なるし「夢」という言葉は現実味がなく、遠い言葉だと思う人もいるだろう。
以前、生徒会長として話したことは「きれいごとだ」と言われたことがある。学級代表の言葉も同じように言われているのを見たこともある。
だから私は「きれいごと」という言葉が大嫌いだ。実際にそれで自信をなくし、消えてしまう言葉があるのだ。
「きれいごと」とはもう言わせたくない。
だから、私は一人一人がただの夢ではなく、夢の「形」をもつべきだと思う。
「きれいごと」と言葉にされた瞬間、その思いはどこか浮いてしまう。
でも、それを自分なりに形にしようとしている人が目の前にいたり、自分自身が夢の「形」をもっている。そんな時、それはもうただの理想じゃない。そこにリアリティが生まれると私は思う。
「形」をもつことで自分がやるべきことも明確に見えてくるし、誰かに伝わることでその人の心を動かすこともできるのだ。
ところが一人一人が夢の「形」をもったところで、事実がなければ信じない人もいると思う。だから私は、自分なりに“きれいごと”に真摯に向き合い、「本質を伝え抜く先生」になれるように頑張ろうと強く思う。
そんな姿勢が、周りの誰かにとって少しでも意味をもてたら嬉しい。
「大切なことだとわかっていても、周囲の声に押されて諦めてしまった人」など、そんな人たちが、ふと立ち止まって自分のことを考えるきっかけになれたらいい。
この文が、見てくれた、聴いてくれた誰かの心の奥にしまっていた、夢や思いにもう一度火を灯すきっかけになれば心から嬉しく思う。
この文すらも「きれいごと」と言われないことを願う。
もう一度言おう。
私のゴールは「先生になること」ではない。「本質を伝え抜く先生」であることだ。
自分の目指す姿を明確にすることで、「きれいごと」と一蹴されがちなものにもリアリティが生まれ、より多くの人に思いや願い、そして夢が届くようになると私は信じている。
揺るがない夢の「形」と希望を胸に私は努力を続けていく。
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