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北白石中学校3年 佐藤美優
皆さんは、心から自分が「好きだ」と言えるだろうか。もし、その気持ちを失いそうになったら――どうするだろうか。
私は絵を描くことが好きだ。小さいころから絵を描く時間が楽しくて、なんとなく続けてきた。「上手だね」「才能あるね」と言われるのが嬉しかった。絵を認めてもらえるのが嬉しくて、ただその喜びだけで描き続けてきた。やがて私は「自分にはセンスがある」と思っていた。
だが最近、姉にSNSのイラストを見せてもらい、思い知らされた。そこにあった作品はどれも輝いていて、見る者を引き込む力を持っていた。それに比べて私の絵は平凡で、何も伝わってこないように思えた。悔しくて、情けなくて、「自分は大したことない」と思うようになった。
それでも、机を整理しているとき、昔のアルバムを見つけた。そこにあったのは、クレヨンで描かれたぐちゃぐちゃの顔。下手だけれど、楽しそうで生き生きとした絵だった。その時気づいた。「私が絵を描いてきたのは、誰かに評価されたいからではなく、ただ楽しかったからなんだ」と。上手か下手かではなく、絵を描く「自分」が好きだから続けてこられたのだ。
しかし、そんな私の「好き」を大きく揺るがす出来事があった。九月三日の未明、母がくも膜下出血で亡くなったのだ。朝起きると母の手足は冷たくなっていて、私は必死に心臓マッサージをした。けれど母は戻らなかった。そのときの母の顔や手の感触は、これからも忘れないだろう。
あまりに突然のことだった。昨夜まで笑っていた母が、翌朝にはいない。こんなにも簡単に、大切なものは失われてしまうのかと、絶望した。何度も「夢であればいいのに」と願った。けれどどんなに呼んでも、母は応えてくれない。ただ、無力な自分だけが残った。
母の死は、私から日常を奪った。学校にも行けず、机に向かっても何も頭に入らない。努力を重ねてきた勉強も運動も、全てが無意味に思えた。私は次第に、自分を嫌いになっていった。
だがある時、思った。母は決して望んで死んだわけではない。そんな母が愛してくれた私を、私自身が嫌いになってはいけないのではないかと。母が大切にしてくれた「私」を、私自身も大切にすることが、母への恩返しになるのではないかと。
そして気づいた。大切なのは、才能や結果ではなく、「好き」を見つめ直すことだと。日常そのものが宝物であり、自分を認めることこそが、前を向く力になるのだと。
もちろん私は、母が亡くなったことに対して、まだ理解できていないし、乗り越えることもできていない。絵だって、人より上手ではないかもしれない。だけど私は、挑戦する自分を嫌いになりたくない。母が愛してくれた私を、私も愛していきたい。
皆さんは、自分のことを好きだろうか。人は誰しも、嫌いな自分を抱えている。私にも、弱さや欠点はたくさんある。それでも、どんな自分も認め、受け入れていきたい。なぜなら、自分を大切にすることが、次の一歩を踏み出す力になるからだ。
私はこれからも、絵を描き続けたい。勉強も運動も挑戦を続けたい。時に壁にぶつかり、涙を流すこともあるだろう。けれど私は、どんな時も自分を好きでいたい。たとえ、自分に辛いことが降りかかったとしても、悲しいことが起きたとしても、一歩一歩で良いから強く生きていきたい。
だから、私は、欠点も弱さも含めて、自分を好きでいられる人間でありたい。そして皆さんもまた、どんな状況にあっても、どんな自分であっても、自分を愛せる人間であってほしい。
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