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中沼保育園と民家に挟まれた狭い敷地に建つ中沼神社。中野幹線を車で走っていると、思わず見過ごしてしまいそうな小さな社です。
中沼にある神社だから、中沼神社と呼ぶのは当たり前だと思っていませんか。
現在の中沼地区は、旧篠路村の字中野、字沼の端、字中福移の3つの部落から成っています。
中沼という地名のいわれは、モエレ沼の西側の「中野」と東側の「沼の端」からできたものですが、当時はなかなか簡単には決まらなかったというエピソードがあるそうです。
昭和23年に、中野と沼の端の住民間で小学校設立の運動が活発になり、寄付集めの段階では「篠路東小学校」という仮称が使われていました。
同年11月には、その名称で開校が認可されましたが、12月には、学校の建設地の関係から「中野小学校」ということで開校式が挙行。
しかし、式当日に、沼の端の住民から「自分たちの部落の名前を活かしてもらわないと困る」という話が出て、校名の決定は後日に持ち越しになりました。
この仲裁に入ったのが、福移の住民の方で、「モエレ沼が石狩平野の真ん中にあるからと解釈すればよいのでは」と提案し、沼の端の住民も了承。
このような住民間の話し合いの結果、中野の「中」と沼の端の「沼」を取るという折衷案に落ち着き、昭和24年3月に「中沼小学校」と改称されました。
そして、その名称が基となって、同年4月、篠路村字中沼という地名が生まれました。
さて、ようやく神社の話に戻りますが、明治期にそれぞれの村の守り神として建立された沼の端神社と中野神社も、昭和23年に小学校の新築が決まった時に、合併の機運が高まりました。
小学校敷地の南東側に中野神社の拝殿と手水鉢、沼の端神社の本殿と鳥居が移設され、双方のご神体が一体となり、中沼の地名誕生に合わせて、中沼神社となったようです。
その後、昭和41年に、中沼小学校の新校舎落成のため、移転が余儀なくされ、現在地に社殿が建立。43年にコンクリート製の鳥居が奉納されました。また、同年、福移神社とともに、篠路神社の飛地境内神社として認証されています。
今年8月には、老朽化した社殿をリニューアル。地域の大切な心の拠り所として大切にされています。
新しくなった社殿
神社側から見た中沼の景色
【平成21年(2009年)12月記】
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