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更新日:2023年2月10日

札苗再発見その14

福移開拓の歴史をしのぶもう一つの碑

2つの並んだ小さな石碑

前回、その13でご紹介した福移神社に向かう札幌北広島環状線沿いのバス停「福移小学校通」のすぐそばに、2つ並んだ小さな石碑を見つけました。
写真の向かって左側は、馬頭観音碑と呼ばれるもの。3つの頭と8本の腕を持ち、宝冠の上に馬頭を載せていて、一切の魔性や煩脳を打ち払う仏だそうです。馬産地で馬の無病息災や冥福を祈るために建てられたもので、北区の篠路や拓北、屯田などにも数多くの碑が建っています。中には、そのものズバリ「馬頭観音」の文字を彫っただけのシンプルな石碑もあるようです。
右側の石碑は、顔の部分が損傷していてよく分かりません。こちらも、いろいろな種類のある馬頭観音の一つなのでしょうか。裏側には「昭和12年10月中山富次郎」の文字が読めます。
「福移開拓百年記念誌」によると、「昭和12年11月8日、当時の畜産振興に熱心な有志が牛馬頭観音を建立して祀る」との記述がありました。2つ並んだ石碑の写真も掲載(現在よりも少し離れて立っていますが)されていて「牛馬頭観音像」と説明が付いています。とすると、こちらは牛頭観音ということになるのでしょうか…。

度重なる石狩川のはんらんを食い止めようと、大正中期から始まった石狩川改修工事により移転を余儀なくされた開墾地の大部分は軟弱な泥炭地。当時は、牧草とエンバクといった飼料作物を利用した畜産主体の農業が営まれていました。その中心人物の一人が中山富次郎氏。最盛期の昭和初期には、部落のほぼ全戸が乳牛を飼育し、飼養頭数は百頭に達したそうです。
その後、昭和10年頃から、軍用馬の必要性が高まると、次第に馬産に移行。戦後は、軍用馬に代わって農耕馬の育成が盛んになり、「篠路ペロシュロン」の産地として全道にその名を知られるまでになりましたが、昭和30年代以降は、トラクター等農業の機械化により農耕馬も減少していきました。

かつて田畑の開墾や荷物の運搬などに活躍した馬は、農業機械や自動車にとって代わられましたが、当時、牛馬の無病息災や道中の安全を祈るために建てられた観音碑は、今もこの地域の交通の安全を静かに見守り続けています。

 

左側の石碑の後ろにはにはこんな立て札が・・・

交通安全を祈っているようです

 

【平成21年(2009年)6月記】

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