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住宅街の中にたたずむ農本神社。
左隣が東苗穂まゆみ公園
現在の農本会館と農本神社
「授爵記念」の碑
平成6年の写真。旧農本会館の隣に鳥居が…
三角点通沿いの「東苗穂11条3丁目」のバス停から2丁目側に少し入ったところに小さな神社があります。名称は苗穂山農本神社。道路が神社を避けるようにカーブを描き、社殿のすぐ横には東苗穂まゆみ公園という小さな街区公園もあります。敷居を感じさせず、辺りの住宅街にすっかり溶け込んだようなたたずまい。
神社の由来は、明治2年に現在の本町1条1丁目法国寺の東側に入植した水森源五郎氏が、同16年に小祠を建て自家の守護神として金比羅稲荷を祀ったのが始まりとされています。その後、昭和8年に有志者により改築。新たに大山祗神、木花咲耶姫神の御神霊を合祀し、「苗穂山神社」として祀られたそうです。
昭和26年には、水森保氏(源五郎氏の子息)から譲り受け、「農本倶楽部」(昭和7年建設)という集会所(現在「北のたまゆら東苗穂」がある辺り)の隣に建立。以来、「苗穂山農本神社」として農本地区の守護神となっています。
平成9年には、付近の宅地造成に伴い、約50メートル離れた現在の場所に移転改築されました。
この神社のシルバー色の鳥居の手前には「授爵記念」の文字が刻まれた石碑が建っています。昭和3年に地域の農業の発展への功績に対し男爵を授けられた佐藤昌介氏を称えて、翌昭和4年に小作人たちが授爵1周年を記念して建てたもの。
かつて三角街道の両側には、大農場が広がっていました。その中でも、特に広大な面積を有していたのが佐藤農場。北海道帝国大学初代総長の佐藤氏は、学校経営に携わるかたわら、明治23年から農場経営にも積極的に取り組みました。当初は、泥炭湿地であったため、排水路を開削したり、霜害や水害などで作物が育たなかったりと、開墾は困難を極めたそうです。
現在の碑は、昭和58年に佐藤農場ゆかりの人達が集まって再建したもの。
“農本”の名称は、佐藤氏が「農業は人間生活の根本」と口にしていたことから、名付けられたそうです。
【平成20年(2008年)11月記】
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