~大倉山ジャンプ競技場編~
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スタッフならではのお話をぜひご覧ください!
大倉山ジャンプ台は、1972年(昭和47年)に札幌で開催された冬季オリンピックの競技場のひとつ。このオリンピックがきっかけで、札幌のまちは大きく変わり、地下鉄やさっぽろ地下街など、現代の私たちの生活に欠かせない施設が誕生しました。今も、夏と冬にジャンプ大会が開催され、迫力あるジャンプを目の前で見ることができますよ!
(上の写真:オリンピックミュージアム 歴史展示コーナー)
(上の写真:オリンピックミュージアム 競技用具展示コーナー)
また、オリンピックミュージアムでは、オリンピックの歴史がわかるものやオリンピック出場選手が実際に使った競技用具の展示コーナーも!
歴史コーナーには、オリーブの枝や葉で作られた冠の置物の展示があります。実は、古代ギリシャで行われていたオリンピックでは、優勝者にこの冠が贈られていました。なぜオリーブを使っていたのでしょう?それは、オリーブは神聖な木と言われ、この冠は優れた者であることを表すと考えられていたからです。オリンピックが何回も開催されるようになると、土地や賞金も与えられるようになりました。その後、1896年に近代オリンピック第1回目となるアテネ大会が開催されましたが、その当時、なんと金メダルはなく、1位は銀メダル、2位は銅メダル、3位は賞状だけ。
そして、現在では、優勝者には金メダルと、その国の歴史や文化にかかわる花束(ビクトリーブーケ)が贈られています。古代から今のようなかたちになるまで、いろいろ変わってきていたんですね。
(上の写真:オリンピックミュージアム 大倉山ジャンプ競技場紹介コーナー)
その後、何度か改修され、今の90m級(現ラージヒル)の大きなジャンプ台、「大倉山ジャンプ競技場」となったのです。
オリンピックミュージアムの大倉山ジャンプ競技場のコーナーでは、日本のジャンプ界を支えてきた大倉山の魅力を紹介しているので、ぜひご覧ください。
(上の写真:オリンピックミュージアムスケート紹介コーナー)
また、館内にはスケートの靴の展示コーナーも!実は、日本で初めてスケートが行われたのは、明治時代、ここ札幌とも言われているのです。
当時は、スピードスケートやアイスホッケーはなく、フィギアスケートしかありませんでした。さて、その頃はどこにスケートリンクがあったのか知っていますか?最初は、スケートを日本に持ち込んだとされるアメリカ人教師がいた札幌農学校内(今の北海道大学)の池や、そのほか、今ではびっくりするような場所、北海道庁の池や中島公園の池がスケートリンクになっていたのです。
(上2つの写真:オリンピックミュージアム 体験コーナー)
そのほか、スキージャンプなど競技を疑似体験できるコーナーもありますよ!
ここ大倉山で、見て、体験して、札幌の冬をもっと楽しんでみませんか?
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