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モエレ山の頂上にあるモニュメント
中央部分の四角形が三角点の標石
三角点通の名前の由来となった三角点。文献では、昭和初期に「モエレ沼南部」あるいは「現豊畑付近からわずかに北側の地点」に設置されたとの記述がありますが、実際にはどこにあったのでしょうか?
東区唯一の山、モエレ山の頂上でそのヒントを見つけました。
標高61.7メートルの山頂には、直径2メートルの円形状モニュメントが設置されており、札幌市内の三角点の配置が分かる位置図や三角点設置の経緯などについての説明が表示されています。
モニュメントの中央部分が二等三角点「当別太」の標石。もともとは、明治43年にモエレ山の東方約1キロメートルのところに設置され、これまで様々な測量や地図作成等に利用されてきましたが、平成18年11月に現在の場所に移設されました。
となると、元の設置場所が気になりますよね?
設置者である国土地理院北海道地方測量部では、「移設前の場所には何も目印になるようなものは残っておらず、正確な場所はもう分からない」とのことでしたが、同院の資料「新旧設置位置図」によれば、おおむねバス停「沼の端」付近からモエレ沼の方向に向かった沼の淵辺りになるようです。
二等三角点「当別太」の新旧設置位置図
そこで、位置図を頼りに、元の設置場所を目指しました。バス停「沼の端」の先にある「中沼小学校通」の手前に、あまり知られていないモエレ沼公園入口があります。駐車場はありません。
そこから遊歩道を歩くとモエレ沼に突き当たり、「水郷北大橋」に出ます(一般的なモエレ沼公園東側入口にある橋は「水郷東大橋」)。その橋のたもとの堤防を少し戻った辺りが元の設置場所になると思われます。やはり三角点の痕跡のようなものは見当たりませんでしたが、緑豊かな景色が一面に広がっていました。
モエレ沼公園に向かう遊歩道
旧設置場所付近からバス停「沼の端」方向
水郷北大橋から旧設置場所方向を望む
旧設置場所付近から見たモエレ山
一等三角点が約40キロメートル、二等三角点が約8キロメートルおきに設置されていることから考えると、「明治43年」に設置されたこの二等三角点が道路の名称の由来となった三角点ではないかと推測されます。しかも、その当時は、二等より細かい区分の三角点はまだ設置されていなかったようです。
しかし、「昭和初期」に設置されたという文献の記述が確かなら、時代が下って三等三角点が近くに設置された可能性も否定できないとのこと。
今となっては、どの三角点が通りの名前の由来となったかははっきりしませんが、気になる方はモエレ山に登って、今のコースをたどってみてはいかがでしょうか。
平成20年(2008年)7月記
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