アイヌという言葉は、アイヌ語で「人間」という意味です。また、民族の呼称でもあり、「男らしい男」とか「夫」などという、アイヌの男性の尊称でもあります。ところが、差別意識を持った人たちが侮辱の意味を込めてこの言葉を使ったため、アイヌ語で同胞という意味の「ウタリ」という言葉が使われるようになりました。しかし、アイヌの人たちは、再びアイヌという言葉に誇りを持つようになっています。
北海道をはじめ、サハリン(樺太)、千島列島や東北地方の北部には、アイヌ語に由来する地名が数多く存在します。このことは、これらの地域に、アイヌ語を話す人たちが生活してきたことの何よりの証です。
また、これらのアイヌ語地名は、その地名を名付け、使ってきた人たちの考え方や生活文化などを知る手がかりにもなっています。アイヌ語地名は、次の世代に残したい宝物として、平成13年度に「北海道遺産」に選ばれています。
北海道に人類が住み始めたのは2万数千年前とされています。それからの長い年月のあいだに、さまざまな人の移動や移住、文化の移り変わりなどがありました。たとえば、縄文時代の北海道に暮らしていた人たちが、そのまま現在のアイヌの人たちにつながるわけではないことが指摘されています。けれども、両者のあいだに共通する遺伝的な要素があることも確認されていますので、アイヌの人たちの歴史は、縄文時代やさらにその前にさかのぼることができます。より詳しいことについては、現在、人類学、考古学、歴史学、民俗学などの各分野から総合的な視野で研究が進められています。
『古事記』や『日本書紀』の中には、中央政府に服さない人々を指して「まつろわぬひとども」とか「蝦夷」という言葉が出てきます。特に『日本書紀』には斉明天皇の時代(658年)に『阿部比羅夫が、船軍180艘を率いて蝦夷を討ち、有間の浜(津軽か)で渡島の蝦夷等を集めてもてなした』という記述があります。この渡島が現在の北海道なのか、「蝦夷等」がアイヌを指すのかどうかははっきりしませんが、アイヌ語で解釈できる「蝦夷」の人名や東北地方の地名が記されているなど、言語学的にはアイヌとのつながりを見ることができます。15〜16世紀になると、多くの和人が蝦夷地に来るようになり、アイヌの人たちについてたくさんの記録を残しました。外国人の記録では、1565年にイエズス会の宣教師ルイス・フロイズがインドのゴアの本部に報告書を送り、初めてヨーロッパにアイヌおよび蝦夷地のことを紹介しています。
アイヌ語は、アイヌの人たちの固有の言葉です。しかし、明治以降、社会生活を営む中で日本語の使用を余儀なくされました。現在では、伝統的な儀式や祭事などの場を除いて、日常生活の中でアイヌ語を使うことはほとんどありません。また、アイヌ語で自由に会話のできる人もごくわずかしかいなくなっています。もし、民族の言葉が失われるようなことがあれば、それはその民族の文化と心を支える大きな柱を失うことになります。そのため、アイヌ語を守り、広げていく努力がアイヌの人たちの間で続けられています。
アイヌ語は日本語と似た語順を持っていますが単語が大きく異なります。また、日本語と異なる大きな特徴として動詞にク「わたしが」とかエ「あなたが」などを表す人称を付けるきまりがあります。
アイヌの人たちの間には、超人的な主人公が活躍する「ユカラ」という物語をはじめ、神々の物語、昔話や由来話など、アイヌの人たちの豊かな心から生まれたたくさんの物語が伝えられています。そして、昔話などの中には、生きていくために必要な知恵や戒めなども語られています。
アイヌ語を守り、広げていくため、各地でアイヌ語教室が開かれ、テキストも作成されています。アイヌの子どもたちをはじめ多くの人たちが、その言葉とともに、自然の中に生きてきたアイヌの人たちの心も学んでいます。
アイヌの人たちがかつて身に着けていた衣服は、オヒョウの樹皮やイラクサなどの繊維を紡いだ糸で作られ、防寒などのために動物の毛皮や魚の皮なども使われました。また、本州や中国大陸から木綿や絹が手に入るようになると、これらの布も用いられるようになりました。形は和服に似ており、前で合わせてひもなどで結び、丈はひざ頭より少し下くらいまででした。衣服には晴れ着と普段着とがあり、今、資料館や写真などで目にする美しい文様のついた衣服の多くは、儀式や祭りのときに着た晴れ着です。普段着は労働をするときに着ることが多かったので、今ではあまり残っていません。
アイヌの人たちの衣服の特徴は、木綿などの布片や刺繍などによりさまざまな文様が施されていることです。この文様は、美しく飾るだけでなく、魔よけなどの意味を持つもので、母から娘へと独特の文様が受け継がれてきました。近年、このような衣服の製作を志す若い人たちが増えつつあります。また、製作した着物を踊りや儀式のときなどに着る人たちも増えています。
男性はブドウのつるや柳の木の「削りかけ」などで作った冠をかぶり、儀式用の刀を下げ、地域によっては脚絆をつけたり、陣羽織を着ることもありました。女性は鉢巻きや耳飾りをし、玉飾りを首にかけます。晴れ着の上に刺繍をした前掛けをすることもありました。
狩猟採集民族であったアイヌの人たちは、自然の恵みに感謝しながら、野山の動物や植物を食料としていました。山ではシカ、ヒグマ、ウサギなどの獣や、鴨などの鳥をとりました。近くの川や海からは鮭・鱒などの魚や貝が豊富にとれました。ときには、沖合に出てクジラ、トド、アザラシなどの海獣も捕らえていました。山菜採りは女性や子どもたちの仕事です。アイヌの人たちは数百種類の食用植物を知っていたといわれます。それに若干の農耕もしており、自由な大自然の中で豊かな食生活をしていました。
一般的な料理法は、山菜などの野菜と肉類を煮て、塩と獣・魚油で味付けしたなべ物で、クマ肉、シカ肉、魚など、材料によっていくつかの種類がありました。ヒエ、アワ、イナキビなどの穀類に山菜や保存してあるオオウバユリなどを入れたおかゆも作りました。また、獣肉や鮭などの串焼き、山菜のおひたしなども作りました。これらの料理は、今では日常的なものではなく、儀式などのときに作られます。
食料の確保は自然の恵みに頼っていたため、様々な保存法が工夫されていました。肉や魚は天日乾燥し、さらに家の中につるしておいたり、くん製も作りました。植物は球根を食べるもの、葉や茎、果実を食べるものに分けて、ほとんどのものを乾燥させて保存しました。また、冬に鮭などを凍らせて保存する「ルイペ(とけるたべもの)」は、今では高級料理となっています。
アイヌの人たちは、天然現象や動植物、人間の作る道具などはすべてに「魂」があり、神の国から使命を担って姿かたちを変えて地上に降りてきていると考えました。その魂は人間にとって有益なものだけでなく、天災や病気などにもあり、このうち、人間の生活に必要なもの、人間の力の及ばない事象を「神」として歌いました。神々の守り護りに感謝を捧げるのが「カムイノミ(神への祈り)」の儀式です。
神々への祈りには、歌や踊りも重要な意味を持っています。「イオマンテ(熊の霊送りの儀式)」の後には、「リㇺセ」、「ホリッパ」などと呼ばれる輪踊りをします。また、男性によって悪い神を追い払う「剣の舞」や「弓の舞」、女性たちが優雅に舞う「鶴の舞」、「水鳥の舞」など、たくさんの舞踊が今も伝承されています。このようなアイヌの人たちの伝統的な踊りは、国の「重要無形民俗文化財」に指定され、さらに「ユネスコ無形文化遺産」にも登録されています。
儀式のときなどに座って歌う「ウポポ」、即興的に気持ちを歌うとされる「ヤイサマ」、お酒を造ったり穀物を粉にしたりするときに歌うとされる歌、子守歌や遊び歌など、さまざまな歌が伝承されています。
アイヌの人たちは儀式のとき、親しい人たちが集まったとき、あるいは仕事をしているときなどには必ずといっていいほど歌い、踊りました。踊りには、リムセ、ウポポ、ホリッパと呼ばれる大きな輪になって踊るもの、神々への祈りを表したもの、遊びの要素を含んだもの、悪い神を追い払う儀礼から生まれたもの、豊漁猟を祈願するもの、労働の様子を表したもの、動物の動きを表したものなど、さまざまな種類がありますが、そのほとんどは女性を主として踊られるもので、男性だけの踊りはごくわずかです。楽器を伴わず、すべて踊り手やその場にいる人たちの歌と手拍子で踊られます。
アイヌの人たちにとって踊りとは、自分たちが踊って楽しむものであり、また、神々もまた一緒になって楽しむものでした。
こうした踊りとともに、「ヤイサマ」「ヤイサマネナ」などと呼ばれる歌があります。主に女性が歌うもので、哀しみや異性に対する恋心など自分の心の内を歌で表したもので、個々人がそれぞれの歌詞やメロディーを持っています。現在では、かつて個人が歌っていたものがその地域の多くの人たちによって伝承され、共有の歌として唄い継がれています。
アイヌの人たちの楽器の一つで、口琴、口琵琶とも呼ばれています。ネマガリダケなどを材料とした、長さ10~15cm、幅1cmの薄い板状のもので、中央は舌状にくり抜かれ、左右に糸がつけられています。糸を手に片方を口の端に当て、もう片方で糸を引くことによって、舌状の部分が振動し、音が出ます。呼吸に合わせた口の開閉、糸を引く力の強弱により、いろいろな音を出すことができます。口琴は、アイヌの人たちをはじめとして、台湾の原住民族、北方圏の少数民族など、世界各地にあります。
主にサハリンアイヌが使用した琴状の楽器です。一本の木をくり抜いて胴体とし、天板を張り合わせています。長さ70~150cm、幅15cm前後の大きさで、五弦の他、三弦や六弦のものなどもあります。材料として、胴体にはエゾマツ、イチイ、ホオノキなどの木が、弦にはエゾイラクサの繊維を固く撚ったものや、クジラやシカ、トナカイの腱などが使われました。抱きかかえるようにして持ち、弦をおさえず、両手ではじくように弾きます。