昭和38(1963)年に東京教育大学文学部国文学科を卒業後、演技者として魅力ある演技を披露し続ける傍ら、指導者として、高校演劇の指導に全力を注ぎ、北海道の高校演劇を全国のトップクラスに押し上げる原動力となった。 また、戯曲集「あしたは天気」を出版するとともに、地域の農民芸能を掘り起こし、「篠路歌舞伎」と命名し戯曲「風雪の役者たち」にその全貌を描くなど、本市の芸術文化の振興に大きく寄与している。