ホーム > 手稲区の紹介 > 手稲でみつけた手稲のはなし > 10.地球が燃えている
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昔、曙や北海道工業大学のあたりは牛の放牧地で、その下は泥炭(でいたん)でした。泥炭は石炭などに比べ良質とはいえませんが、燃料にすることができます。農家の人達は、春、農作業の合間をみて泥炭を掘り、夏の間乾燥させ暖房用の燃料として使っていました。
第二次世界大戦中、物資が不足するようになってから昭和三十年の初めころまで、泥炭は農家だけでなく、手稲のほとんどの家庭で暖房に使われるようになりました。そのため、泥炭は農家にとって大切な現金収入源となりました。泥炭の採取権を売ったり、馬車で運んだりして収入を得たのです。
しかし、その大地の恵みも時には厄介なものとなり、人々を困らせたのでした。
曙や現在の北海道工業大学周辺の泥炭地は、春になるとワラビでいっぱいとなり、札幌などからたくさんの人たちがワラビ採りに訪れていました。そのため、タバコの火の不始末などから、よく野火騒ぎがあったのです。
特に北海道工業大学周辺にあった泥炭は、乾燥していて火が付きやすかったため、同大学ができるころまでは毎年のように野火があったといいます。
燃料として使われる泥炭に火が付くわけですから、ただの野火で済むはずがありません。馬ふんなどに火が付き同じ所で長く燃え続けたり、アリの巣の穴や、泥炭を掘った穴などがあったりすると、そこから火は、地面下の泥炭層に忍び寄ります。
泥炭層に届いた火は地中をジワジワと潜り広がっていきます。ある時には何もなかったかのように静かに侵攻し、またある時には大地のそこいらじゅうから煙を吹き出しました。地面が燃えるそのさまを「地球が燃えている」という人もいました。
地中の泥炭に火が付くと、簡単には消えないことが分かっていたので、辺りに何もないころは、「冬になれば消えるさ」と自然の成り行きに任せていた時期もありました。そんなとき、野火で1番被害を受けたのは、放牧された牛たちでした。泥炭が焼けた跡は、見た目には平らに見えても中は空洞で、落とし穴のようになっていました。
知らずにその穴に落ち、やけどをする牛が毎年何頭かいたといいます。人は泥炭が焼ける独特のにおいや、焼けた土の色で危険を察知できるのですが、牛にはできなかったようです。
住宅が近くに建ち始めると、それまでのように何もしないわけにはいきませんでした。住宅に被害が及ばないようにしなくてはいけません。普通火を消し止めるには上から水を掛けますが、ワラビが燃えた跡にはでん粉質の白い粉が残り水をはじき下まで届かないためです。火を消すには、消火ホースを地面の中に突き刺し、地中に放水するのです。しかし、それで消すことができるのは、ほんの1部分だけです。消し終わったと思っても、振り向けばあちらこちらから煙が立ち上りました。
野火を食い止めるにはたくさんの人手が必要でした。いつも消火作業は長時間に及びます。最終的には、火の周りをスコップで砂地が出るまで溝を掘り、それ以上燃え広がらないようにするしかありませんでした。
消したと思ったら2、3日後また燃え出したり、冬を越して燃え出したりした事もありました。消した後もしばらくの間、監視を続けなくてはなりませんでした。
野火が最後に起きたのは、昭和51年(1976)5月、これも北海道工業大学の裏で発生したものでした。この野火は一大事件となり、新聞などで大きく報じられました。
発生した野火は、南西の突風にあおられて、付近の住民が一時避難するほどでした。煙は遠く花川南団地までも覆い、焼失面積は30ヘクタールにも及びました。通報を受けた市消防局は署員、消防団員合わせて約四百人と車両15台を動員しました。集められるだけの消火用ポンプを集め、新川の水をくみ上げ消火に充てました。全身真っ黒になりながら、夜通しの消火活動により、表面に見える火は消し止めました。しかし、すでに地中に火が回っていたのです。
ショベルカーや手作業で、穴を掘っては水を掛けるという地道な作業を来る日も来る日も繰り返し、徐々に範囲を小さくしていきました。
くすぶる火を、完全に鎮火することができたのは、出火から1カ月以上も後のことでした。
昔、前田地区は下手稲通を境に南は湿った泥炭地で、北は乾燥した泥炭地だったということです。泥炭地というのは湿原植物などが枯れ堆積し、土とならず長い間をかけて炭化したものです。同じ前田地区でも、新川を越えると砂地でした。海に近い山口地区も砂地です。富丘地区の山すそ辺りは、大きな石ころがごろごろしていたといいます。現在は意識することが少なくなりましたが、同じ手稲区の中でもさまざまです。遠い昔の手稲の姿をそのような地質の話から想像することができます。
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