ホーム > 健康・福祉・子育て > 福祉・介護 > 障がい福祉 > サービスを利用するみなさまへ > 行政情報 > 障がい者によるまちづくりサポーター制度 > 平成16年度第2回懇談会
ここから本文です。
開催日 : 平成16年4月27日(火曜)14時から
開催場所 : 札幌市社会福祉総合センター4階 大研修室
我妻
これより、障がい者による政策提言サポーター第2回懇談会を開催させていただきます。
私は、サポーター委員の我妻と申します。本日の進行役をつとめますので、どうぞよろしくお願いいたします。
最初に、このサポーター制度について少しお話しさせていただきます。
この障がい者による政策提言サポーター制度は、皆さんもご承知のように、昨年、上田市長が誕生し、その後、7月に策定されました「さっぽろ元気ビジョン」というプランを受けて、障がい当事者の方々、また家族の方々、さらに福祉に関心を持っている方々から意見をいただいて札幌市政に反映させようと始めた新しい仕組みで、私たちは昨年の12月に任命を受けました。そして、皆様からいただいたご意見をお聞きしてまとめるのが私どもサポーターの役割です。
皆様からのご意見やご提案については、幾つかの方法でいただけるようにこちらの方で用意をしています。まずは、本日のような懇談会です。これは、テーマを決めて、広く皆様からご意見をいただくというものです。また、広い会場ではなかなか発言しづらいという方のために、明日も行いますが、札幌市役所3階の南東会議室で、個別に皆様方から意見を伺う意見聴取という場を設けます。これは、札幌市の広報、「広報さっぽろ」でもご案内しています。さらに、郵便やファクス、メールなどでもお受けをしておりますので、ぜひとも皆様方のご意見、ご提案をお寄せください。
これら、いただきましたご意見、ご提案につきましては、私どもサポーターが政策提言書という形でまとめて、今年の9月に上田市長へ直接提出することになっています。
今お話ししましたことを、ぜひ会場にいらっしゃることができなかった方々にもお伝えください。
我妻
それでは、早速、サポーター委員を紹介させていただきます。
お時間の関係がありますので、私の方から簡単に紹介をさせていただきます。
皆さんから向かって右側の方から紹介をしていきたいと思います。
高嶋さんです。
浅香さんです。
鈴木さんです。
河西さんです。
冨田さんです。
私は我妻です。
それから、私の横が空席になっていますが、後ほど、おくれてこちらの会場に入ることになっております香川さんという男性の方です。
小林さんです。
竹田さんです。
場崎さんです。
それから、今日はお仕事の関係等でこちらの会場に来れなかったサポーターが二人いらっしゃいます。小山内さんと三浦さんという方です。
サポーターは12名おりまして、障がいもいろいろな種別で構成されています。どうぞよろしくお願いします。
我妻
それでは、早速、今日のテーマに入ってまいりたいと思います。
本日のテーマは、「教育問題とバリアフリー」です。
もちろん、このテーマ以外のことでご発言いただいても構いません。
ただ、いきなり発言をいただくのはなかなか難しいと思いますので、皆さんからより発言をしやすくするため、サポーターから意見や提案をさせていただきます。その後、会場の皆さんからご意見、ご提案をいただくという形をとっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
それでは、まず最初に、高嶋さんからお話をいただきたいと思います。よろしくお願いします。
高嶋
ただいまご紹介いただきました高嶋と申します。
私は、耳は聞こえませんので、手話通訳をお願いしております。
一つ目の教育の問題についてお話ししたいと思います。
まず最初に、聴覚障がいの方は耳が聞こえないということで、学校関係の教育に絡むと思います。
最近、文部科学省の方で、特別支援教育の構想がありまして、全国各地で聾学校を統廃合するという考え方で進められていますけれども、それに対して、私たちは非常に懸念を持っております。それはなぜかといいますと、普通学校の方々と一緒に勉強する場合、聞こえない子供たちに対してきちんと手話で教えることができるのかという懸念です。聞こえる方にはお話をできますけれども、ろうあ者ですからお話が聞こえません。そういう意味で、情報が得られず、学習が遅れていくということが一つ考えられます。コミュニケーションの障がいがあるのです。
つまり、普通学校の場合には、手話ができる先生がいればいいのですけれども、そういう人がいない場合には、補聴器の制度や、いろいろ難しいことがありますので、その辺を慎重に考えなければいけないと思います。
また、新生児聴覚検査というものが始まっていますが、聴覚の問題があるので、それがすぐろうあ者だというふうに、中絶という問題も起きてきます。つまり、聞こえる子供はいいけれども、聞こえないで中絶するというような差別を生む危険もあります。
それから、今、子供たちに人工内耳の手術が広がってきています。つまり、病院側に人工内耳がよいと勧められ、親が、聞こえるようになるのかと期待して人工内耳をしてしまった方がたくさんいます。しかし、人工内耳の実績はまだまだ少ないのです。成人になった場合、人工内耳だとダイビングや水泳などはできませんし、飛行機に乗ったときもすごく不都合があります。そういう障がいが出てくるということです。病院も慎重にいかなければならないし、ただ勧められればいいということではないと思います。子供たちが、あとあと不幸になるということを知らないで人工内耳の手術をして、後で不幸になるというのは困ります。また、大人になってから人工内耳にするという選択も必要だと思います。小さな子供たち自身はわからないと思います。
ですから、ろうあ者の場合は、普通学校にインテグレート〔注:統合教育〕ということもありますけれども、そういう制度がきちっとできない場合は、やはり聾学校には専門的な教育の場でありますし、聾学校ですときちっと教育されます。また、大学になると高等教育まで行けると思います。ただ、問題は、高等教育を受ける場合は、大学などに入ってからきちっと情報保障ができていないということがたくさんあるのです。つまり、ノートテイク〔注:要約筆記〕や手話通訳が設置されていないところがたくさんあり、十分に情報を得られないという問題があります。
もう一つ、重複の障がい者に対しては、学校教育が終わった後に社会に出ますけれども、そこの制度も十分ではないということがあります。学校教育と社会に出てからがきちっと連動した中でいろいろ考えていく必要があるのではないかと思います。
次に、バリアフリーについてです。
今、札幌市には立派な施設がたくさんありまして、車いすや視力の方たちに対する設備はきちっとなされていると思いますが、ろうあ者の私たちに対しては十分でない状況がたくさん見受けられます。
例えば、センターの廊下で緊急の案内放送などがあったときに、皆さんは聞けますが、私たちは聞こえません。何か起こったときにはもう対応が遅いということになりますので、できれば、電光掲示で文字をあらわすことができればいいなと思います。
それから、例えば、大きなステージで講演会などをやる場合に、耳が聞こえない人が遠くにいると、手話通訳は小さくて見えないのです。ですから、プロジェクターやパソコンの機器を使ったり、またはループの設備を整えるということが必要なのではないかと思います。
また、要約筆記者の方たちは重たい機械を持ち込みますが、それはとても大変だと思います。ですから、そういうところにきちっと設備が備わっているといいなと思います。設備ができない場合には、きちっとセンターの中に申し出があれば通訳を保証するとか、要約筆記の人を前もって準備するということがあればまだいいかと思います。
このように、聴覚障がい者に対するバリアフリーはまだまだたくさんあると思います。それに対しては、緊急に、情報関係の設備などをいろいろなところに設置してほしいと思います。
もう一つの問題は、同じ障がい者の立場で、就職する前の訓練校のようなところがあります。北海道には1カ所あるのですが、車いすの方や、だれでも入ることができて、いろいろなことを教えていただけます。そこに入って学ぶことができるのですが、手話通訳がきちっと保証できないという問題があります。ろうあ者の皆さんにとってはまだまだ十分と言えないので、改善してほしいと思います。
以上です。
我妻
ありがとうございました。
高嶋さんからは、ろうあ者が抱える教育問題やバリアフリーの問題について提起をいただきました。
続きまして、浅香さんから問題提起をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。
浅香
浅香です。
今日は、教育問題とバリアフリーという二つのテーマが設けられています。
私は、障がいがある子供もない子供も、どんな理由があっても共学していくことが望ましいと思っております。
私は、昭和38年、小学校3年生の秋に交通事故で右足切断という障がいを負ったのですが、幸いなことに、障がいを負った後も同じ小学校へ通うことができました。障がいを負った後も障がいを負う前と同じ地域で暮らし、親と一緒に暮らし、同じ友達と一緒に遊んで育つことができたということが一番幸せだったと感じています。障がいを負う時期や種別がかなり影響すると思いますけれども、基本的には共学していくことが望ましいのではないかと思っております。
また、今でもたびたび小学校からの友達と一杯やったりするのですが、友達に時々言われるのは、おまえは足が不自由だなんて全然意識したことはなかった。むしろ、おまえを見ていたから障がいがある人を見ても接しても全然気にしないと。変な言い方ですが、逆にありがたがられているというか、よくそういうふうに言われます。
それから、バリアフリーについてですが、私自身は、物理的なバリアフリーは大分解消されてきていると思います。今の時代、バリアフリー化とかユニバーザルデザインというのは物理的にもソフト的にも切っては切れない言葉になっていますが、いろいろな障がいがありますので、さらに進めていただきたいと思っております。まして、中身のチェックについては、皆さんも含めた障がい当事者がよりよいチェック体制を築いていくのがいいのかなと思います。
私自身、障がいが重いほど負うバリアが多いことはわかっています。しかし、何がバリアかということは、それぞれの障がいを実際に負ってみないとなかなかわからないと思います。こういう機会を通じて、お互いの障がいにどういうバリアがあるかということを勉強していきたいと思っております。 以上です。
我妻
ありがとうございました。
浅香さんからは、ご自分の経験から、教育の問題やバリアフリーのことについてお話をいただきました。
それでは、早速、会場の方々から札幌市の福祉に対するご発言やご提案をいただいてまいりたいと思います。
発言に当たっては、さしつかえなければ、お名前や障がいのこともいただけると参考になります。もちろん、これは強制はいたしません。よろしくお願いします。
それでは、どなたかいらっしゃいませんでしょうか。
どうぞ。
参加者
私は、障がい1種1級で、目が悪く、耳が聞こえません。
最初に高嶋さんが言われた聴覚のことですが、現在、私は補聴器をかけています。しかし、これには、何となく医者を疑いたくなるところがあります。役所に、補聴器をつけたいのでもらえる方法がないかと聞くと、耳が聞こえるかどうかの検査をするのです。しかし、耳の聞こえない人は1mくらい離れるともう聞こえないのです。2m離れるとさらに聞こえなくなります。それで、耳の検査をするときに、耳の中にレシーバーのようなものを入れて、すぐそばで「聞こえますか」と言われるのです。それは、耳にレシーバーを入れたら聞こえるのは当たり前なのです。それで、「あなたはまだ聞こえるからいい」と言われるわけです。そんな話はあるのかと思います。
ですから、機械を入れないで、1m範囲内のところで、人の声で試してほしいのです。機械を耳に入て、そばで話されれば、高い音も小さい音も聞こえて当然です。そういうことをしていますので、補聴器をもらえる人が少ないのです。
それから、浅香さんの言われたバリアフリーについてですが、札幌の中にはバリアがたくさんあります。例えば、盲学校のところは、あそこにある立橋自体がバリアです。盲学校には車いすの方はいないと思いますが、車いすの方はおりてこれませんし、足の不自由な人は階段をおりてこれません。そうかといって、坂をおりようと思ったら、夏ならおりてこれますが、冬にはおりてこれません。あの辺をよく確かめて、視力障がい者が一人でも歩けるようにしてほしいのです。
街に出ましたら、覆道に入っても、駅に行っても、どこに行っても段差があるのです。
私が一番目についているのは、地下鉄東豊線です。南口はまだいいとして、北口はとんでもないです。私は、交通局にかけあって、弱視者でも目につく黄色か赤の色をつけてくれないかと言っているのですが、予算が足りないと言われてしまいます。いつもそう言われて聞き飽きているのですが、今も交渉しています。
以上です。
我妻
ありがとうございました。
まず、聴覚の障がいを持っている人たちのことに関連して、実際に補聴器を使っていてもなかなか聞こえづらく、大変な部分があるというお話がありました。
それから、バリアフリーが進んでいるという話があるけれども、バリアはまだまだたくさんあり、現に盲学校の周辺にもまだたくさんある。それから、障がいを持っていても一人で歩けるような街にしてほしいというお話をいただきました。
最後に、地下鉄東豊線の誘導路の問題で、弱視者にもわかるマークなどをつければもっと便利になるけれども、現状はまだまだで、札幌駅北口は外に出ていくまでに大変な思いをしているというお話をいただきました。
そのほか、どなたかいらっしゃいませんでしょうか。
どうぞ。
参加者
当事者です。
まず、教育問題についてです。
今は英語が主流なのでしょうけれども、今は、アラビア語とか韓国語など、他の国の言葉もどんどん勉強していくべきだと思います。
それから、精神病のことについて、義務教育のカリキュラムに入れてほしいと思っています。
また、何らかの形で当事者を講師として招いてほしいと思います。
それから、これは問題があるかもしれませんが、今は精神病院も変わりましたので、病院の見学などをして、日常、どういうふうに入院しているのかということを見てほしいと思っています。
教育については、以上の4点です。
それから、バリアフリーについてです。
精神障がいの方は飛び込んだりしてしまうことがありますが、視覚障がいの人は、点字タイルがわからなくて落ちてしまうことがあるのです。南北線が最初にできて、その後に東西線、東豊線と来ていますが、南北線ができたときは防護柵の要望は出ていなかったと思います。それであれば、東西線、東豊線をつくるときに、当然、予算として盛り込んだ方がよかったと思うのです。これは、最初から予算を組んで作っているのならいいのでしょうけれども、これから作るとなったら、お金が余計にかかってしまいます。
それから、エレベーターの設置のあり方ですが、これも不便を感じます。麻生にもつきまして、私も何回か乗ったのですが、ちょっと歩かなければならないので、視覚障がいの人などは戸惑ってしまうのです。北34条駅にもつきましたが、地上に上がったところは、歩道まで点字タイルがあるだけで、あとは何もありません。当事者とか他の障がいの人の意見を聞いた上で取りつけてほしいと思います。
それから、二十四軒に身障者センターというものがあります。ここは、地下鉄からそこまでたどり着くのに、横断歩道に点字がついていて、信号もすぐにかわるのです。押した途端にかわるのです。そういうものを、もうちょっと便利のいいところにいくつか立てられないものかなと思います。
それから、すみれ会でも、市と調整しあいながら、視覚障がいの人などと連携をとりながらバリアフリー対策をやっています。ただ、一度、やると言っていて、すっぽかされたことがあるのです。前日に小雨が降ったので取りやめることになって、後日、やはり雨が降ったのですが、やったのです。私は行けなくて本当に残念でした。雨が降ったら傘をさせばいいだけです。やると決めたらやってほしいのです。
以上です。
我妻
幾つかご提案をいただきました。
教育の部分については、英語だけではなく、ほかの外国語もぜひ学んでほしい。それから、広く精神障がいの人たちのことも授業のカリキュラムに入れていただいて、当事者の人が講師として入っていけるような時間をつくってほしい。
それから、バリアフリーについて、地下鉄のホームから落下しないような配慮を当然のものとして整備してほしい。また、地下鉄のエレベーターが今はあちこちにできているけれども、場所がものすごく遠くて非常に不便である。それから、二十四軒に身障センターがありますが、地下鉄の駅からセンターに行くまで点字タイルが設置されていて、そこの前についている信号機は、ボタンを押すとすぐにかわって、時間が若干長いのですが、そのような配慮が市内のあちこちにほしい。それから、点検についても、不十分なところについては、ぜひ当事者を入れて点検作業を行ってほしい。ホームの問題にしても、エレベーターの問題にしても、信号の問題にしても、点検作業にしても、当事者の声を入れていただきたいというお話だったかと思います。
そのほか、どなたかいらっしゃいませんでしょうか。
どうぞ。
参加者
北区からまいりました。
教育問題については、今、小学校の総合学習の時間に、私たちが手引きの講習会などでうかがっておりますが、札幌市はまだまだ少ないと思いますので、全体的に満遍なく、そのような学習をしてほしいと思っております。
それから、バリアフリーについて、これは物理的というより精神的に感じていることですけれども、私は最近、ひとり暮らしを始めまして、ホームヘルパーとガイドヘルパーを大いに利用させていただくことになりましたが、振り込みなどの場合は同行しなければいけないのです。しかし、具合が悪くて同行できない場合は、たとえ600円くらいの振り込みでも決まりなのでかわりに払っていただけないということを経験しました。何でもきまりきまりといって役に立ってもらえないということもバリアではないかと感じております。
それから、ひとり暮らしになって、今までは簡単に家族が読んでくれていた印刷物を読むのに非常に困っています。そこへ、最近、約11万円の高価な読み取り機械ができまして、盲人用具ということで制度で認められて、私も手に入れたのです。ところが、どんな印刷物も読むことはできないのです。特に、役所からの印刷物はすぐに読みたいのですが、大事なものですから、近所のだれにでも見てもらうわけにはいきません。その機械に入れて読んでもらいたいと思うのですが、読まないこともあるのですよ。でも、印刷物の角にバーコードがついているだけで、本当に流暢に読むのです。ですから、役所で発行される書類についてはそのようなバーコードをつけていただきたいと切望いたしております。よろしくお願いいたします。
我妻
ありがとうございました。
まず、教育の部分で、最近は小学校や中学校で総合的な学習が行われているけれども、札幌市は福祉の部分について取り組んでいる学校が少ないので、福祉の部分についても満遍なく取り組んでほしいというお話でした。
お話しにはなっていませんでしたが、こういうことは障がいを持っている人たちの啓蒙につながるので、ぜひ進めてほしいというお話だったのではないかと思います。
それから、ホームヘルパーやガイドヘルパーの制度がありますが、自分がちょっとした用事で使いたいと思っても使えないという現状があり、これもバリアではないか。もっと本人が使いときに使えるような仕組みにしてほしいというお話だったかと思います。
3点目に、読み取り機械のお話がありました。文章にバーコードがあると機械で読み取ることができるので、公的な文章を含めて、あちこちでバーコードをつけていただけると助かるというお話だったかと思います。
バーコードのことについては、私もちょっとよくわからないので、終わってからでもお話を伺えたらと思います。
そのほか、どなたかいらっしゃいませんでしょうか。
どうぞ。
参加者
札幌市長にお礼を申し上げます。障がい者がこのような提言をして、受け入れてくれるかどうかとともかくとして、聞く耳を持ってくれたということに非常に感謝いたします。
私の苦労を一つお話ししたいと思います。
まず、自転車です。私は50歳で全盲になったのですが、どこにでも自転車があって、通れないのです。これは、視覚障がい者ばかりではなくて、車いすの方や老人等についても決して安全なものではないと思います。ですから、地下鉄の出入り口やバス停のそばなどには、市行政の方で、ここには自転車は置けないのだという罰則規定か何かを設けていただけると大変ありがたいと思います。なぜならば、冬には自転車はないのです。なければないで何か通勤する方法があると思います。しかし、我々視覚障がい者や車いすの人たちは、そこに自転車があることによって通れないのです。これは共通したお願いです。
それから、先ほどお話があった機械は、スピーチオ〔注:SPコード読み取り装置。定価115,000円〕という名前です。これは、行政の人たちもわからないと思いますが、切手大のバーコードがあるのです。これを行政や企業がつけることが義務づけられれば別ですが、まだ5年先、10年先になると思います。
そりよりも今、視覚障がい者に音声パソコンというものが普及しつつあります。それで、音声パソコンにスキャナーをつけますと、活字体であれば読んでくれるそうです。現在、こういうものが普及していますので、音声パソコンのソフトについては補助がありますけれども、本体については補助がありません。できれば、スキャナーを買ったことにして本体に振り分けてくれるというような寛容さがあれば、視覚障がい者のパソコン普及率はまだ伸びると思います。特に、私のように67歳にもなりますと、パソコンを覚えるのはなかなか大変だと思いますけれども、書物を読んでもらうためだけに音声パソコンを使うというのはいいなと思っています。
それから、高嶋さんが言ったように、我々は、この場所に来るのにも、目の見える人に手引きしてもらわなければ来れないのです。そして、我々には60時間という制限があるのです。ほかの障がいの方もそうかもしれませんが、昨年4月から支援費制度ができまして、その中で、ガイドは60時間なのです。ですから、我々障がい者は60時間以上外に出てはいけないということです。私は盲導犬を使っていますが、盲導犬はどこでも行けるわけではありません。盲導犬は主人の指示によって行くだけですから、頭に入っていないところには行けないのです。
以上の3点を市の方に提言していただければありがたいと思っております。
以上です。
我妻
まず、バリアフリーの問題で、放置自転車のことについてご提言をいただきました。ものすごく多いので、これをきちんと取り締まる方法が必要ではないか。視覚障がい者や車いすの方に限らず、ほかの方々が通る上でも非常に不便な思いをしているので、きちんと取り締まる方法が必要ではないかというお話をいただきました。
これに関連することでお話しさせていただくと、市の広報の最新号で放置自転車の問題を取り上げていると思います。ですから、市の方も、これからいろいろな形で自転車の問題を取り上げていくのだろうと思います。
それから、バーコードのことについて補足をいただきました。これは、市の窓口の方や、サポーターの中でも知っている方がいるかもしれませんが、私は、今お話を伺うまで存じ上げませんでしたので、また後からバーコードの利便性についてお話を伺えればと思います。
それに関連して、音声パソコンとスキャナーで文字を簡単に読み上げていく方法もあるので、この取得に際してもうちょっと便宜があれば、もっともっと普及して、視覚障がいの方にとって便利になるのではないかというお話もいただきました。
それから、ガイドヘルパーの問題についてもお話をいただきました。支援費に移行して、利用者本位ということにはなったけれども、視覚障がいだと利用できる時間がものすごく限られている。また、今ご発言いただいた方は盲導犬を利用されていますが、盲導犬ですべてカバーできるわけではないので、何らかの人的なサポートが必要である。その部分で言うと、まだまだ時間が足りず、現状に即していないのではないかというお話をいただきました。
それでは、そのほかの方からお話をいただきたいと思います。
どうぞ。
参加者
教育問題とバリアフリーということで、僕の作業所の職員に、精神障がいや精神保健福祉のことはどこで勉強するのかと聞きましたところ、今、精神保健福祉士の資格が国家資格になりまして、それにともない専門のコースを設ける専門学校がふえてきたということです。また、福祉系の大学で福祉をとっていても、精神保健福祉についてはさらっとしか勉強しないという現状があります。いろいろな大学がありますので、意を決して精神保健福祉の分野に入ろうと思えば、実習なり、特別な勉強をしたり、家族会に行ったり、精神保健福祉の分野で病院とか施設とか作業所で働くということになります。
問題なのは、ほかの障がいの方には申しわけないのですが、私が小さいころは、あそこは精神病院だから近くに行ったらだめだよと言われたり、僕も格子越しにニヤニヤ笑っている方を見てこわいなと思ったりしました。でも、今、私は精神障がい者になってしまいました。目の不自由な方がいたら道をあけてあげてね、盲導犬を連れた方が来たら道をあけてね、車いすの人が困っていたら押してあげてというようなことは、学校教育の場だけではなく、ふだんの生活の中から社会的弱者を支えていきましょうとありますけれども、残念ながら、私たちは、精神病院に入ってしまったということで、現状では大変なことだと。本人もうろたえるし、家族もうろたえます。なぜうろたえるかというと、偏見、差別ということになると思います。新聞報道も、悪い事件が起きれば大々的に取り上げますが、明るい話題はほとんど目にすることはありません。
ですから、教育問題ということに関していえば、義務教育のときから、精神保健福祉の基本的なこと―心に病を持って、いろいろな症状が出て、生活しづらくなって、おかしく見えるけれども、あの人たちは害のある人ではないのだということを教育してほしいと思います。
それから、バリアフリーについてです。
バリアフリーというのは、社会と僕たちの偏見、差別のことだと思います。これについては、いろいろなシンポジウムで心と心を通わせようとか、みんなでお酒を飲んだりして意見を聞いて心を癒そうとか、中には精神障がいを持っていてもギター一本でライブハウスを回っているという人も見ます。ただ、僕は、病気になったために、自分で社会とのバリアをつくってしまって、そこを通り抜けよう、乗り越えようとすると、ものすごいエネルギーを使いますし、不安があります。ですから、まず社会が僕たちの問題に関心を持ってくれて、正しいマスコミ報道、正しい教育ということを、札幌だけではなく、それを広めるような動きがなければ、僕たちはいつまでたっても厄介者。優しい人もたくさんいますし、まじめな方もいますし、素直な方もたくさんいますので、一般市民と僕らが共感できるような場をもっとつくっていくことが大事ではないかと思っています。
以上です。
我妻
ありがとうございました。
精神保健福祉のことについていろいろお話をいただきました。
まず、精神保健の専門職に携わっている方はもちろんのこと、それ以外の方にも、教育の中で、障がい者の問題や精神保健福祉のことをきちんと取り上げるべきである。それから、バリアフリーの問題で最大のバリアが人権差別のことだというふうに考えている。バリアをなくしていくためには、社会を大きく変えていく、つまり、大きく啓蒙していくということである。先ほどのお話につながるかもしれませんが、教育の中で取り上げたり、マスコミの考え方をただしていくということも必要ではないかというお話だったと思います。
ほかに、どなたかいらっしゃいませんでしょうか。
どうぞ。
参加者
今、いじめなどがありますが、その根本には障がい者を普通学校から排除したという問題があると思います。僕が小学校3年生の1980年に国際障害者年というものがありまして、特殊教育学級が義務化されました。そのときに、あなたたちは要らないよ、あなたたちは別ですよと言われてしまったと思うのです。その時点で、親も、この子は特別な子なのだという思いが出てきたと思うのです。それまでは普通の小学校しかなかったので、年配の方は、普通の子供と一緒に通って、一緒に育って、一緒に遊んで暮してきたので、びっことかたっこと言いながらも、足の悪い人や耳の聞こえない人たちを認めてきたと思うのです。しかし、今はそういうものがなくなってしまったので、弱い者を排除していくというような、いじめてもいいのだというような感じで育ってきていると僕は思うのです。ですから、今は子供も少なくなってきているので、元に戻して、特殊学級もなくして、一つの学校で育てていけばいいのではないかと思います。
それからもう一つは、僕はこれからヘルパーの資格を取ろうと考えているのですが、障がい者が資格を持って働いてもいいのだろうかと思っています。僕は今、支援費を申請してヘルパーの介助を受けて生活しています。ただ、障がい者がヘルパーの勉強をして資格を取って働いてもいいのかという思いが僕の中であるのです。言葉が悪くて申しわけないと思いますが、人の税金で暮しているのだから、自分で勉強して資格を取って、ほかの人を助けるということをしてもいいのではないかというところで今は迷っています。それが認められれば、僕は、資格を取って働いていきたいと思っています。
我妻
ありがとうございました。
まず、いじめの問題についてお話をいただきました。障がい児を普通校から排除したことが原因の一つに考えられるのではないか。結果として、弱い者を排除するという考え方につながっていっているような気がするというお話でした。だからこそ、障がいを持っている人たちのことを学校の中できちんと教えるとか、学校の中で統合教育という形で進めるということが必要ではないかというご提案だったかと思います。
2点目は、ご自身のことでお話をいただきましたけれども、今、ヘルパーの資格を取るために勉強している最中である。ご自分もヘルパーを受ける立場にいるけれども、資格を取って自分が仕事をしていいのかどうか正直悩んでいるというお話をいただきました。
そのほか、どなたかいらっしゃいますでしょうか。
どうぞ。
参加者
私の子供は、小学校3年生の女の子なのですけれども、知的障がいのため、今は特学に通っています。その子供が3歳のときに、インシュリン依存型糖尿病になりまして、今は毎日インシュリン注射を投与しているのですが、知的障がいがあるので、自分で血糖値をはかったり注射をしたりすることができないため、親が全部してあげなければならないのです。障がいのない子供でしたら、1年生くらいになると、自分たちで血糖値を計ったりインシュリンを注射したりということができるように徐々に訓練していくのですが、知的障がいが入っているので、それがなかなかできず、今は毎日、学校の昼休みに私が行って血糖値測定をしたりインシュリン注射をしたりということを続けています。
学校の養護教諭で看護師資格を持っている方がいれば、私のかわりにそういう行為をすることができるのです。まれに、学校の養護教諭の方で看護師の資格を持っている方がいて、そういうことをしてもらっている学校も中にはあります。ただ、私の子供が行っている学校にはそういう養護教諭の方がいないので、私が毎回行ってやっています。子供のぐあいが悪いときも、先生方から呼び出されて、血糖値測定をしている状態です。
私の要望は、養護教諭に看護師資格を持った方を配置していただきたいということです。どうしてそれができないのかということが疑問ですし、それを誰に頼んでいいのかということもよく分かりません。ぜひ、こういう機会に、そういうことを思っている親がいるということを市長に伝えれたらと思ってきょうは来ました。
以上です。
我妻
ありがとうございました。
おっしゃるとおり、今まではそういうことを発言する場所がなかったと思います。
お子さんが知的障がいをお持ちで特学に行っていらっしゃって、糖尿病のインシュリン投与を行っているけれども、その都度、親御さんが学校に行って投薬サポートをしている状態だと。養護教員で看護資格を持っている職員がいれば、親がその都度行かなくてもサポートしてもらえるので、ぜひ有資格者の配置を行ってほしいというご意見だったと思います。
そのほか、どなたかいらっしゃいませんでしょうか。
どうぞ。
参加者
実は、8年前に目が不自由になって札幌に帰ってきたのですが、街なかを歩くと、舗装ではなくてタイルのところがあるのです。それで、タイルの目地に白杖の先が突っかかって、そこに自分の体が乗っかって、肋骨を3回ほど折ったのです。それで、危険を感じて、ガイドヘルパーを頼んだのですけれども、去年の4月から制度が変わりました。支援費になってから、随分業者がふえまして、ガイドヘルパーをこちらで選べるようになったのですが、その質が問題でして、ガイドヘルパーの訓練を全然受けないでヘルパーをやっている方がかなりいらっしゃるのです。冬に病院へ行くときはヘルパーを使っているのですが、腕を組まれてしまうのです。そうすると、危険を感じて体が全然動かなくなってしまうのです。その人その人に応じたサポートの仕方があると思います。
ですから、単に業者をふやすのではなくて、質の問題だと思うのです。こっちの命を預けている以上、サポートしてくれる方も、そのことをきちんと踏まえて、きちっと教育を受けてやっていただかないと、こちらから「あの人にお願いします」と言うわけにはいかないのです。こちらに選ぶ権利はあるけれども、ヘルパーさんを選べないというのが実情なのです。ですから、もっと質の向上を図っていただきたいと思います。
以上です。
我妻
ガイドヘルパーを含めて、ヘルパーの質の向上の問題についてご提言いただきました。
そのほか、どなたかいらっしゃいますでしょうか。
どうぞ。
参加者
今、バリアフリーのことを伺っていたのですが、私の家の近くのスーパーは、昔はバリアフリー化されていなかったのですが、今度、スーパーが新しくなってバリアフリー化されまして、買い物がしやすくなりました。
ただ、目が見えない人のために、もう少し工夫してほしいなと思っています。ふだん、大丸などに行ってカードにポイントを入れるときに思うのですが、カード自体にも視覚障がいの人のための工夫をした方がいいかなと思います。また、商品にも点文字のようなものがあったらいいなと思います。
我妻
ありがとうございました。
ご発言いただいた方の近所のスーパーは、物理的なバリアフリーは整っているけれども、視覚障がいを持っている方についてはまだまだバリアがある。視覚障がいを持っている方のバリアを取り除くということが必要ではないかというご提案でした。
そのほか、どなたかいらっしゃいませんでしょうか。
参加者
僕自身、養護学校はすごく嫌なのです。養護学校での教育も大事ですけれども、もっと学校で社会的な教育をした方がいいと思います。僕は、社会に出て恥をかいてきました。これを言ったら怒られるかもしれませんけれども、親は、子供が学校を卒業することを大事に考えますが、別に学校に行かなくても、もっと違う形で社会教育や一般教育を受けさせて社会に出してほしいと思います。参加者 補足いたします。
私は養護学校出身ですが、養護学校の中自体がバリアではないか、養護学校があるから普通学校に行けないのではないかと言っています。学校教育も、もっと社会的な、一般的な教育をしてほしいと思うと言っています。それは、社会に出るための教育とか、生活するための教育などです。
親は高卒とか大卒とか学歴にこだわるけれども、もっと家庭で社会に出れる教育をしっかりしてほしい、そういうことをもっと教えてほしいと言っています。
以上です。
我妻
ありがとうございました。
そのほか、どなたかいらっしゃいませんでしょうか。
どうぞ。
参加者
こういった場で話すと、場違いな者が発言していると受け取られるかもしれませんが、性同一性障がいのことについて話を聞いていただきたいと思います。
私たちは、福祉政策の中に入っておりません。一応、病気の扱いですが、難病の枠にも入っていませんので、私たちのことを取り上げてくれる行政関係の担当はまだありません。ですから、皆様方にぜひ私どもの話を聞いていただきたいと思います。
まず、教育においてぜひ取り上げていただきたいと思います。
私どもは、幼いとき、幼稚園のころから自分の性の違和感と肉体への嫌悪感を抱きます。そのため、自分の肉体を傷つけたりする者もおりますし、幼稚園や小学生のころから、「あなたは男の子でしょう」「おなたは女の子でしょう」「おかしいね」と言われますから、幼児のころから、自分はおかしいのだという思いを抱きながら、自分の思いを周りの人に話してはいけないのだと思って思春期を育っていきます。そのため、自分はおかしいおかしいと何千回、何万回も言い聞かせますし、私は間違って生まれたのだと思いながら育つのです。親に話しても、「そんな子に生んだ覚えはない」「間違って生んだのね」「生まなければよかった」というような言葉を幼少時から浴びせ続けられるため、精神障がいに陥る者も決して少なくありません。また、学校の中というのは、男女の区別が一般社会よりハッキリしています。ランドセルの色にしても、ジャージの色にしても、上靴、外靴にしても、男の子と女の子に分けられています。そういう中で、性同一性障がいの子供は居場所がないのです。そのため、心に大きな傷を負ったまま、素直に育つことができなくなって、かなり屈折した心を持っている当事者が非常に多く存在しています。
行政関係の方では、ぜひ私どもの声を取り入れていただきたいと思います。最近、市及び北海道などで性別欄の削除などの改善が進められていますが、市や道庁の担当の方に私どもの話を聞いてくださいと申し出ても、お断りされてしまいます。当事者のことは当事者が一番知っているはずなのに、なぜか私たちには近寄りたくない、私たちの話は聞きたくないという雰囲気が伝わってきます。それは、おそらく、私たちに対する生理的嫌悪感を抱いているからだと思うのです。世の中は男と女しかない社会が当たり前でしたので、男なのに女になりたい、女なのに男になりたいという人に対してきもち悪いという感情を抱くのは当然だと思います。私たちは、多くの人からきもち悪いと思われていますし、実際に私たちの話を聞いてくださる人はほとんどいません。私たちのことをきもち悪いと思っている人たちにこそ、私たちの話を聞いていただきたいのです。
私は、このような場所に来ても、話すことにためらいを感じていました。あなたはいる場所が違うのではないかと受け取られるおそれを感じてきました。けれども、私の話を聞いていただきまして、ありがとうございました。私どものことも知ってください。
我妻
ありがとうございました。
非常にいい問題提起をしていただいたと思います。性同一性障がいのことについていろいろお話をいただきました。小さなころから周りからおかしいのではないかということを言われていて、なかなか自分を認めることや肯定することができない。だからこそ、教育の中できちんと取り組んでほしい。それによって、自分を肯定でき、自分を認められ、結果として、これはお話しにはなっていませんが、相手を尊重していることにもつながっていくのだろうと思います。
また、現状として、役所では、いろいろな書類の中で性別欄を削除する方向に進んでいますが、実際は、当事者の方々の意見を聞く場がないので、ぜひ当事者の意見を聞く場を設定してほしいというお話でした。
そのほか、まだ発言されていない方を優先したいと思います。
どうぞ。
参加者
今の意見に関連して、私は性同一ではないのですが、そういうお友達を持っていますし、私は偏見を持っていません。好きな人が同性だったというだけでなぜ偏見を持つのだろうかと不思議に思っていました。
教育の問題では、同じ学校に入りたいという気持ちはわかりますけれども、普通の人の考え方ができない限り、いじめを受けて排除される可能性があるので、市の方でも、親の教育とか、先生の教育とか、周りの偏見を取り除くことがまず先だと思うのです。それからでも普通学校に行くのは遅くないと思います。
バリアフリーについては、心のバリアフリーが必要だと思います。物理的なバリアフリーは少しずつ進んできましたが、心のバリアフリーについてはまだまだだと思います。私は、困っている人を助けたいという気持ちがあって、親にそのことを話したのですが、なぜ関係ないところに行くのかと言われます。私は精神障がい者ですが、精神障がい者は精神障がい者の人と集まっていた方がいいと言われてしまうのです。でも、精神障がい者でなくても、精神障がい者であっても、困っている人たちの気持ちがわかって、助けてあげたいという気持ちがあるのです。そして、人間にはいろいろなタイプがあるのだということを分かってほしいのです。
ですから、これからは、障がい者だからだめだというのではなくて、精神障がい者だからとか、視覚障がい者だからというような偏見をなくして、個人対個人として、人間として尊重してほしいというということを訴えたいと思います。
以上です。
我妻
ありがとうございました。
ご意見ということで伺っておきたいと思います。まず、学校の部分について、逆に統合教育を進めるのはいじめにつながるのではないか、それより先に親とか周りの人の偏見を取り除くことが先ではないだろうか。それから、バリアフリーについては、心のバリアフリーが必要であるというお話でした。それから、障がいを持っていても人として認められるような、尊重されるような社会をつくっていくことが必要ではないだろうかというお話をいただきました。
本当ですと、まだまだ皆さんからご意見をいただきたいところですが、そろそろ時間となります。きょうは意見を言い足りなかった、あるいは、きょうは発言することができなかったという方がいらっしゃいましたら、受付の方に用紙がございますので、ぜひそこに皆さんのお考えをお寄せください。
それから、月に1回、月末の水曜日に、市役所本庁舎の3階で、個人の方からご意見やご提案をいただく場を用意しています。今月はあしたになります。これは、その都度、札幌市の広報にも紹介されますので、それもごらんになっていただいて、ぜひそちらの会場にもお越しください。また、会場にお越しいただけない方は、ファクスやメールや郵便でお寄せいただいても結構ですので、ぜひご意見をいただければと思います。
それでは、最後に、皆さん方からいただいたご意見やご提案を受けて、サポーター委員からそれぞれ感想や意見をお話しいただいて、きょうの結びにつなげたいと思います。
それでは、場崎さんからお願いいたします。
場崎
場崎です。
皆さんの真摯なお言葉を聞いて、胸がいっぱいになりましたし、両肩がずっしり重い感じがいたしました。私は障がい者としてはまだ若葉マークですので、これからもっともっと自分自身の障がいを理解して、その上で皆様と一緒にいろいろなことを考えていきたいと思います。
今日は、いろいろとありがとうございました。
竹田
今日のお話をお聞きしまして、身障の部分で考えると、今、当事者制とか同性介助を基本的な形として進めてきたと思いますし、私もそうなるべきだと考えてきました。しかし、先ほど性同一性障がいの方のお話を伺って、果たして同性介助というのはどうなのかということを改めて考えさせられました。
今日伺った話を考えながら、自分でも進めていきたいと思います。
ありがとうございました。
小林
今日いただいたお話の中で、幾つか感じたことがありましたので、お話ししたいと思います。
一つは、知的障がい者の方から、障がい者年が起こってから知的障がい者が普通学級から排除されたということを言われました。私は、今まではそういうふうに思ってこなかったのです。知的障がい者の人にも教育を受ける機会が与えられてきたのだと思ってきたのです。でも、実際にはどうなのか、知的障がい者の方がどういうふうに思っているのかということをもう一度考え直したいと思いました。
それから、精神障がい者の方からもお話がありました。今、精神障がい者の人に対する偏見が強い中で、教育の中でそういうものを取り除いてほしいと。精神障がいのことについてのカリキュラムをつくってほしいとか、当事者の声を聞いてほしいというお話がありましたが、私は、今の教育というのはすごく知識に偏重していると思うのです。教育の根本というのは人間を育てることだと思います。ですから、差別とか弱い者いじめというのは本当はあってはいけないことだし、生きる力というか、どんなに障がいがあっても自立して生きていく力をつけていくというか、そういう教育でなければいけないのではないかと思っています。そういう意味で、いろいろお話しされたことをすごく重く受け取りました。
それから、養護教諭と看護師の資格を持った人を配置してほしいというお話もありましたが、私もそれは必要なことだと思っています。もっときめ細かい教育といいますか、私たちが声を出していって、こういうふうにしてほしいということを実現していきたいと思っています。
それから、支援費制度のことで、60時間のガイドを受けられるということですが、それでは足りないと思います。支援費制度というのはすごく問題があります。次回の懇談会で支援費制度についてお話を持つ機会があると思いますが、私は、バリアフリーというときに、本当に自由に障がい者の方がいろいろな介助を受けながら行動できる制度がもっときめ細かくなければいけないと思うのです。そういう意味で、介助していただける人を育てていくといいますか、心のバリアフリーが大事だと思うのです。
先ほど質の問題も言われていましたが、ただ介助をつければいいということではなくて、本当に質のいい介助をするということも、一人一人の人間的な資質にかかわってくると思うのです。ですから、私は、当事者の声を出していって、きめ細かなサービスやバリアフリーのありようを考えていきたいと思っております。
きょうは、意見を出して下さいまして、どうもありがとうございました。
高嶋
お話を伺いまして、なるほどと思ったことが2点ほどあります。
まず、バリアフリーについてです。バリアフリーというのは、ハードの面とソフトの面がありまして、ハードの面は見えますのでいろいろな改善ができますが、ソフトの面はまだまだ整備が十分ではないという意見があったと受けとめています。目に見えない部分といいますか、精神障がい者の方たちの話をお聞きしまして、私も勉強になりました。
昔のテレビ放送には手話はなかったのですが、最近は、手話の宣伝なども多くなり、手話に興味を持ってきた方もふえていますし、PRの効果がだんだん広がってきています。最近は、手話が当たり前のようになってきていると思います。ただ、知的障がい者の場合は、まだまだテレビでも取り上げられることがなく、知的障がい者に対する介護などは大変だというお話がありまして、なるほどなと思って聞いておりました。そういう意味でも、だんだん理解が広がってくるのではないかというふうにも思っています。
二つ目は、ホームヘルパーの問題です。実際に、ろうあ者の人たちですと、コミュニケーションに限界があり、ヘルパーを派遣されても筆談ではできないということで、トラブルなどもあります。それは、ホームヘルパーさんにも手話を覚えていただくという方法もあると思いますが、障がい者に対する知識もきちっと入れていかなければならないと改めて思いました。
以上です。
浅香
皆さんのいろいろなお話を伺った中で、ハードに対する話が少なかったのかなと思います。差別とか人権などについての話が多かったのではないかと思いました。
また、本日は、お一方、障がいをお持ちのお子さんのご父兄が意見を言われましたけれども、そういう方がもっとたくさん来られて、教育問題について、またバリアフリーの関係について意見を言われるのではないかと期待していたのですが、意外と少なかったのがちょっと残念でした。また勉強し直さなければならないなと思っております。
以上です。
鈴木
今日は、本当にどうもありがとうございました。
皆さんの意見を聞いていく中で、まだまだだなと感じたのは、バリアフリーの問題です。例えば、点字タイルなどは徐々にふえていっていますが、ご意見にもありました地下鉄の放置自転車の問題などがまだまだあると思います。それらについては、自分たちももっと勉強していかなければいけないですし、どんどん言い続けていくことが大事だと改めて感じました。
また、偏見とか差別の問題についてもっとたくさん意見が出ると思っていたのですが、なかなか出てこなかったので、もっとたくさんお話を聞ければなというふうに感じました。
それから、ホームヘルパーの問題ですが、私自身も先月までヘルパーの現場にいたのですけれども、今は施設とか在宅も全部質だと言われていまして、まだまだ障がい者に対する知識などは少ないなと感じております。3回目のテーマにそういうことがちょっとかかわってきますが、自分たちがもっと勉強していかなければいけないなと思いました。
以上です。ありがとうございました。
河西
学校教育については、最近のニュースで、国公立大学の法人化のニュースとか、ちょっと前には、朝鮮の方の高校が甲子園に参加できるかどうかについて高野連が踏み切ったというニュースがあったことを記憶しています。それから、中学、高校の段階で前倒しというか、大学入試が可能な卒業に近い資格を認めるとか、優秀な子はどんどん入学させようという動きなどがあります。
何を言いたいかといいますと、単位の互換性ということです。大学の教育であれば、何単位か取って卒業認定するというのが大学のやり方ですが、高校や中学の場面では卒業の認定が可能かどうかということで、大検という有名なものがありますね。入学資格があるかどうか、高校の時点で推薦入学が可能かどうか、卒業認定と同時に入学が可能になるような考え方なり、単位の互換性について、これから学校もしくは公教育が進んでいくのであれば、福祉とか、高校生とか、介護とか、いろいろな場面でいろいろな影響が考えられると思います。
ですから、本当にこの人は社会でやっていけるのか、社会的なのかどうかということで親が悩んだとすれば、それは教育しかないということは昔も今も変わらないと思います。
以上です。
冨田
今日も、皆さんからいろいろなお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。
私が感じたことをお話ししたいと思います。
私たちが住んでいる社会では、完全ではないですけれども、障がいを持っている人が地域で生きていくということに取り組むようになってきました。ただ、その根本の学校教育の部分でバリアが横たわっているなという気がしました。
まず、障がいを持った子供たちが最初に出会うバリアというのは、やはり学校教育の場だと思うのです。いろいろな支援がないということで、まずそこでぶつかってしまうと思います。やはり、今は学校教育の場に居場所がないという状況があります。
先ほど、性同一性障がいの方のお話がありましたが、それは、性同一性障がいの方だけではなくて、私たち障がいを持つ者すべてに当てはまるのではないかと思います。やはり、障がいを持っている持っていないということで最初から色分けされてしまって、居場所がなくなり、学校教育の場からマイナスのイメージばかり受け取ってしまうということがあると思います。例えば、障がいを持った人が周りに手助けをお願いするときに、障がいのない人とかかわることで頼み方や関係性などを学んでいくと思うのですが、最初から分けられてしまっているという問題があると思うのです。そのように分けられて、支援も受けられないという状況では、学校が終わってから障がいのない人の社会に出ていくと、どのようにものを頼んだらいいのかわからないというようなことが出てくると思うのです。
そういうことをなくしていくためにも、障がいを持っている出会う学校教育の場において、個人個人が必要な支援を受けた上で、あとは障がいを持っている人が選ぶことだと思うのです。養護学校とか聾学校に行くか、一般の学校に行くかということは、一人一人が決めることだと思います。ですから、学校教育の場では個人個人に合った支援が必要かなと思いました。
それから、バリアフリーということに関してですが、私の所属している自立生活支援センター札幌という団体では、今、人工呼吸器を使っている障がい当事者の方の支援などを行っています。人工呼吸器をつけていらっしゃる方は、病院とか施設で暮らさざるを得ないという状況がまだまだあります。しかし、必要な支援さえあれば人工呼吸器をつけていらっしゃる方も地域で生きていけるということで、人工呼吸器を使用している人の自立生活とか社会参加というテーマで、今度、シンポジウムを開催することになっています。
本日、受付の方にチラシを置かせていただいていますので、興味のある方は、手にとっていただいて、ぜひ来ていただければと思います。
今日はありがとうございました。
我妻
それでは、最後になりますけれども、香川さんからお願いいたします。
香川
きょうは、悪天候が予想される中をお集まりいただきまして、ありがとうございます。
まず、私は目が悪いので見えないのですが、会場の皆さんに一つお聞きしたいと思います。
小学校、中学校の中に、福祉に対して協力する福祉協力校というものがあるのですが、会場の中で、福祉協力校ということを知っている方は何名いらっしゃいますか。手を挙げていただけますでしょうか。
何名くらいいますか。
我妻
5名です。
香川
5名ですね。
実は、社会福祉協議会が、札幌市内の各小学校、中学校に対して1カ月10万円で、福祉協力校という制度があるのですが、この5年間で福祉協力校がどういうことをしたかという資料を取り寄せて、読ませていただきました。
福祉協力校だから、障がい者のことを一生懸命理解してもらっているのだろうとお考えになると思います。そういう面もありますが、必ずしもそうではないわけです。言うなれば、この制度はだれのために必要なのかという視点がずれているわけです。募金活動も大事ですし、その中で障がいについて話し合っている人もおります。私が関係する視覚障がいで言うと、この5年間で視覚障がいに関するものは手引きの関係で数校が実施をしただけです。
昨年の暮れに、小学校、中学校の各学年ごとにどういう教科書を使って障がい者理解教育をしているかということについて、札幌市教育委員会に全部説明を受けたのですが、大変残念なことに、すべて副読本なのです。副読本は、教育委員会からやりなさいといって支給されているわけではないのです。各学校の判断で、校長の判断でやるかどうかを決めるわけです。したがって、ページ数も多くてせいぜい2ページです。その中で、実際にやっている学校はほんのわずかです。
そういう意味で、きょうは教育関係についていろいろな意見がありましたが、私は、障がい者問題というのは、障がい者自身がお互いに理解し会うことも大事ですけれども、健常者の方々が障がい者を理解する教育がなければ、バリアフリーという問題も解決していかないのだろうと思っています。原因が何かということが分かると、どうしたらいいかという対策を立てていけるわけですが、残念ながら、今のところ、原因が分かっていながら対策を立てられない、依然として直っていかないという状況があります。
今度、私たちの大先輩である札幌盲学校の教頭先生が、函館の盲学校の校長先生になりました。彼は、札幌にいたときから西区から中央区まで通っていまして、3歳で全盲になった方です。それで、函館に行って大変驚いたのは、〔こちらでは〕南北に渡る際の音声は「ピヨピヨ」で、東西の場合は「とうりゃんせ」なのですけれども、函館は逆だったのです。これは、函館と札幌だけではなくて、ほかのところもそうです。点字ブロックなども、交差点ごとに違うのです。こういう問題をわかっていながら直せないというのは、障がい者の問題ではないですね。日本は、健常者の方々の障がい者問題に対する取り組みが非常に低いのです。
私は今日、大学でこの分野の勉強があっておくれて来たのですが、障がい者はかわいそうだという形でしか見ていない健常者が多いのです。そうではなくて、障がいは障がいとして現実にあるわけですから、その方々とどういう形で地域で一緒に住めるか、この方々が一生社会生活を送るにはどうしたらいいか、そのような視点がずれているのです。
先ほど、ガイドヘルパーの60時間の話がありました。実は、北大の構内というのは、大変暗くて、自転車が歩道を走っているので怖いのですが、ガイドヘルパーを頼もうと思っても使えないのです。また、打ち合わせなどに行く際にも使えないのです。こういう弊害は健常者はわかりません。
これは、ガイドヘルパーの問題だけに限りませんが、皆さん方が声を出すことでこういうことを直していかなければなりません。いろいろなことがあると思いますけれども、へこたれないで、ずっとそういう声を出していっていただきたいと思います。
ちょっと話が長くなりましたけれども、これからも皆さんと一緒に考えながら歩んでいきたいと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)
我妻
会場の皆様、いろいろとご意見、ご提言をいただきまして、本当にありがとうございました。
政策提言ということで、政策と言いますと、なかなかかたくて難しいような、取っつきづらい感じがすると思いますけれども、今の香川さんのお話にありましたように、私たちが生活をしていて不便や不都合、また不満に思っていることを挙げるところから始まるのではないかと感じています。そして、それらの声をまとめていくのが我々サポーターではないのかということも感じています。ですから、主役は皆さんです。これからも皆さん方にいろいろなご意見やご提案を挙げていただくことが一番だと思っています。
また、本日発言できなにかった方もいらっしゃると思います。受付でお配りした用紙にご記入いただいて、後日、ファクスや郵便でお送りいただいても結構です。もちろん、お名前やご住所や障がい名、障がいの等級の記入については強制していません。さらに、冒頭にもお話しさせていただきましたが、こういう大きな会場ではなくて、皆さん方からじかにご意見を伺う意見聴取というものが、毎月最終の水曜日に市役所の3階で行われています。今月は明日になります。こちらの方へも遠慮なくお越しください。
さらに、当然の話ですけれども、皆さんからお話しいただいた内容については、プライバシーに配慮して取り扱っていることも最後に申し添えたいと思います。
我妻
それでは、以上をもちまして、障がい者による政策提言サポーター第2回懇談会を終了いたします。
今日は、本当にありがとうございました。(拍手)
以上
このページについてのお問い合わせ
Copyright © City of Sapporo All rights Reserved.