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(屯田兵以前|屯田兵の里|屯田兵が残した物|最大の遺産|歴史を語るもの|各種碑について)
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屯田兵が西区に残した最大の遺産は琴似本通を中心とした街並みといえます。北海道で最初の屯田兵が入植する前年の明治7年(1874年)、開拓使は現在の旧国道5号線から琴似停車場へ北東に600メ-トル、南北に幅10間(約18.2メ-トル)の中央道路を通しました。さらにその両側200メ-トルの区域に屯田兵村を建設。 現在は、兵村の境界を示す屯田兵村道の道しるべが要所要所に設置されています。 |
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左の写真は、発寒屯田兵村が置かれた発寒地区を上空から写したものです。明治9年(1876年)、発寒に32戸が入植し、JR発寒中央駅の南側の稲荷通沿いに兵村がつくられました。 |
北海道で最初の屯田兵が琴似に入植する前年の明治7年(1874年)に、開拓使が造った中央道路。道路幅は当時とほとんど変わっていません。当時、この通りの両側には屯田兵屋が整然と立ち並んでいました。明治37年(1904年)の屯田兵制度廃止後、この道路一帯はそのまま琴似の中心市街となり、現在のような商店街へと発展しました。そのため、名称も地域の基礎となる道路の意から「本通」と名付けられました。
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本通の歩道には、屯田兵の農具やランプ、ラッパなどを型どった3種類のレリーフが各所にはめ込まれています。 |
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