昭和39年に日本舞踊五條流名取、昭和42年に師範となり、昭和47年に「明鈴会」を開軒、数多くの舞踊公演を積極的に行いながら、日本舞踊の普及と後進の育成指導にあたってきた。 また、その活動は古典舞踊にとどまらず、現代感覚を生かした創作舞踊の開発、創造を意欲的に行っているほか、中国黒竜江省文化交流会に参加し海外における日本の伝統芸能の紹介、文化交流に努めている。これらの活動は、本市の文化振興に大きく貢献するものであり、奨励に値する。