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更新日:2023年1月5日

54.水商売の女性たちが育てた水神信仰

エピソード・北区

第7章:建物

51.天下の三名園を模倣?52.本道初のサケマスふ化場53.区内にあった斬首場54.水商売の女性たちが育てた水神信仰55.ホイラーの気象観測に始まる56.静寂な明治の世界・・・57.百合が原公園、サイロの謎

54.水商売の女性たちが育てた水神信仰-龍神の棲(す)む泉-

龍神信仰ことはじめ

 

神社のお祭りがら、神主ではなくけさを懸けたお坊さんの姿が見える。昭和48(1973)年撮影

偕楽園緑地の一角には「井頭(いのがみ)龍神」という社が建っている。当時の偕楽園内にもメムがあり、明治天皇が北海道行幸の際に手を洗われたことから、「御膳水」として呼ばれていた。そして、いつしか近隣住民の間に水神信仰が生まれたことに、その社の起源をたどることができる。
そしてこの水神信仰は特に水商売の女性の間に浸透していった。「いく代」という名前を覚えているだろうか。昭和後期まで「夜の赤レンガ」との異名をとった道内一の料亭である。ここの初代女将斉藤いくは一時期、サクシュコトニ川のほとりに店を構えたことがあり、同業の女性らと共に熱心にお参りを続け、この水を「神水」として得意先に配ったりしたという。また、奇特な人たちがいく代やそのほかの水商売の人たちに呼び掛けて昭和25(1950)年ごろには御膳水の近くに小さいながらもお宮を建てた。ささやかではあるが祭礼も執り行なわれるようになった。こうして草の根から生まれた水神信仰は「龍神さん」という具象を得て、今日に伝えられていった。

お宮の屋根の正体は?

現在の社は平成13(2001)年に建て替えられたものである。それまでは昭和28(1953)年に建てられたと伝えられるものがそこにあった。当時はまだ戦後の物不足の最中。お宮ひとつの建て替えも簡単にはいかない。龍神近くの商店街で古くから鮮魚店を営む、春日昇進(かすがしょうじん)さんが建て替えにまつわる面白い話を聞かせてくれた。
龍神さんは地元の鉄西町内会が中心となって管理していたが、老朽化したお宮を誰もが憂いていた。建て替えようにもお金も物もない。そんな折、町内会で出した札幌祭りの山車みこしが目に留まった。誰かが「このみこしの屋根を龍神さんのお宮に使おう」と言い出した。物がみこしであるだけに形、色とも申し分ない。おまけに立派な龍の彫刻までしてある。話はすぐ決まった。このみこしのお宮は今もそのままの形で、建て替えられた社の中に納められている。

龍神は人の心に宿りて

龍神さんのお祭りは毎年8月19日に行われている。地域の企業も協賛して盛大に開かれていると聞く。今は宮司を近くの諏訪神社にお願いしているが、以前は町内に住む日蓮宗のお坊さんが任されたこともあり、「太鼓をたたいて、お経を読んで」という光景も繰り広げられた。このおおらかな仏神混合に龍神さんも苦笑いを浮かべていることだろう。地域が守り受け継ぐお祭りとはこのようなもののように思う。
水商売の女性たちが興したこの龍神信仰。つい最近までススキノの女性たちも氏子中に加わり祭りを盛り上げた。今でも「本州からお参りに来た」といって、付近の民家に万単位のお金を預けていく女性の姿もあるという。
あんどん行列の際、お宮をバックに写した写真に龍神が白い煙となって写り込んだという話も聞いた。
龍神はきっといるに違いない。

(「新・北区エピソード史(平成15年3月発行)」掲載)

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