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更新日:2013年3月1日

18.生活に潤いを~手稲文化祭

 終戦の混乱からようやく立ち直りかけてきた昭和24年(1949)11月3日、厳しい生活のなかに少しでも明るさを取り戻そうと、手稲中央小学校(当時は軽川小学校)で第1回手稲文化祭が開催されました。

■第1回手稲文化祭

 文化祭の発起人の1人だった晤 石書学院の吉備津晤石(きびつごせき)さんは、発足当初の様子を次のように語ります。「昭和23年(1948)の暮れ、拓北農兵隊として東京から曙に入植していた田中美之助(たなかみのすけ)さんが手稲文化祭の趣意書を持って私の家に来ました。つらい毎日の生活のなかで何か潤いをもたらしたいと静かに語る田中さんの言葉に発起人の1人としてお手伝いすることにしました。趣意書には俳句、短歌、絵画、茶道など7、8人が発起人として名を連ねており、私が最後に署名したと思います」
 文化祭を開催するといっても資金のない中でスタートです。100枚のポスターもみんな手作りでした。それをみんなで手分けして、人の集まる理髪店や風呂屋さんなどに張って歩いたそうです。
 運営資金を捻出しようと、手稲中央小学校で映画会を開催して前売券を売ったところ大盛況。資金のめどもできるとあれもやりたい、これもやりたいとの話がでて収拾が付かなくなりましたので、展示台や暗幕など共用部門のみにそのお金を使うことにしました。

■みんな手づくりで

教室が展示場です(岡崎基さん所蔵) 「小学校を会場にしての文化祭ですから、作品の搬入・展示は学校が終わってから。出展者の多くは自分の仕事を持っていましたから、作業の始まりは6時過ぎ、教室に暗幕を張って、針金に作品をつるしてと12時過ぎまで、暖房もない中で鼻水をたらしながらの作業でした。また、舞台部門が手薄だということで小学校にも声をかけて、舞台に立ってもらいました」と吉備津さんは振り返ります。
 絵画の「うばゆり会」の代表を務めていた川手四郎(かわてしろう)さんは、「日ごろの仕事に追われていましたから、ゆっくり絵などを描いている暇はありません。それでも年に1回、11月の出品に合わせて絵を描いていました。昭和30年代の初めころだったと思いますが、銭函で月見草と海を描こうと自転車で出かけました。あちこち歩いて月見草の1番きれいに見える所に座ってデッサンをして色を付けていたんです。そうしたら『そこをどけろ』という大きな声。よく見るとゴルフ場のグリーンのカップの上に座って絵を描いていたんです。小1時間いてもゴルフ場とは気が付かないほど、ゴルファーが少ない時代だったのですね」と振り返ります。
 このように子供たちから大人まで、生活の合間を見て作品を手がけて持ち寄っていました。バザーでは、PTAや読書会が豚汁や甘酒などを作って販売もしていました。楽しみの少ない時代でしたから、みんな一生懸命文化祭をもり立てます。小学校の運動会や手稲神社のお祭りと並ぶ手稲町を挙げてのお祭りという気分でした。

■昭和30年の文化祭

 文化祭の規模が大きくなったのは昭和30年(1955)。これまでの作品展示や舞台だけでなく、農産品評会や農産物の即売も行われました。手稲にあるものは何でも展示しようと個人が所蔵していたよろいやかぶとも展示されています。また、手稲文化協会の規約が制定されたのもこの年です。
 手稲町誌などでは、文化協会の設立、第1回文化祭開催は昭和30年となっています。その辺りの事情について、手稲文化協会会長の澤田哲生(さわだてつお)さんは「手稲町が助成金を出すなど関与をした昭和30年を第1回としていましたが、40年代に入って、文化祭の原型は昭和24年(1949)から開催されていたということで回数を変更したようです。30周年も35周年も24年を第1回として数えています」と話します。
 手稲町が札幌市と合併した昭和42年(1967)に、会場はこれまでの中央小学校から公民館に移転。30周年を迎えた54年(1979)には加入団体も39に増えています。昭和60年(1985)に落成したばかりのコミュニティセンターに会場を移して、手稲文化祭は現在まで続いています。

■趣味を持つことは

バザーも楽しみの一つです(岡崎基さん所蔵) 澤田さんは「もう25年以上見ていますが、出展者のレベルが向上してきていることを感じます。やはりみなさん余暇の時間も増え、作品作りにじっくりと取り組めるようになったためでしょうね。書道や絵画、俳句など異なった種目のグループの接点は見つけにくいものですから、市内でもこれほど規模の大きな文化祭は行われていないと思います。手稲町時代から文化協会が存在していたことは、各種文化団体が一緒に発表の場を設けるきっかけになっていたでしょうね。こうした団体自体手稲の財産だと思います」と語ります。
 昭和41年(1966)に発行された手稲文化協会会報「手稲文協」第1号で田中美之助さんは「自己完成への修行の道として趣味を持つことは人間として大切であると思うのであります。手稲町文化協会は手稲町の各地域社会の高い、文化的趣味のつながりと心の交歓を通して(中略)和やかな美しいよりよい地域社会をつくるのが目的であります」と述べています。
 平成11年(1999)11月で、文化協会の参加は56団体、1,100人以上の会員が活動を続けています。

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