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更新日:2013年3月1日

9.ワラビで直した道路

 手稲駅の北側は、住宅などが立ち並ぶ前、ワラビがたくさん採れる所として有名でした。春先になると、主に札幌方面からワラビを採りに来る人たちで、大変にぎわいました。昭和の初めころこの辺りは放牧地でしたので、邪魔な草は牛が食べてくれたため、ワラビを探しやすかったといいます。

■ワラビと人がわんさか

 どれほどワラビがあったかというと、地元に住む人が近所で用事を足した帰りに、道端のワラビを取りながら樽川通を歩くだけで、あっという間に両手に持て余すくらい採れたといいます。ワラビというのは、朝採っても夕方には同じ場所にまた生えてくるほど、成長が早いもので、春から初夏にかけてのシーズン中はワラビを採りに来る人たちが次から次へと訪れました。朝一番の列車が駅に着くと、樽川人道橋の辺りにあった踏切から人の波が押し寄せます。

■唯一の道が田んぼのように

昭和30年ころの手稲駅北側の風景。左手は樽川通(伊藤 正幸さん所蔵) ワラビが採れる手稲駅北側の土地は泥炭湿地で、曙辺りには2mほどの細い馬車道が1本あるだけでした。現在の樽川通です。雨が降ると全面田んぼのようになり、馬車は車輪の心棒までぬかるひどい道でした。今の下手稲通から線路側は、水分が多い低位泥炭地だったため特にひどい状態でした。昭和の初めころ、新川の河口に住んでいた十軒くらいの漁師や、農家の人が毎朝牛乳を駅のそばの集乳所まで運ぶために使っており、大変困っていました。
 そこでぬかるみの道路をなんとかしようと、砂利を入れることになりました。当時は手稲に採石場がなかったので、今の富丘から砂利を買って入れましたが、大きな玉石がたくさん入っていて、ゴロゴロと歩きにくく、馬車も満足に走れる状態ではありませんでした。
 村にお願いしようにも、村に資金的な余裕がなかったため、あてにはなりませんでした。そこで部落会長をしていた今のさわらび 幼稚園の創設者、三浦牧場の三浦義雄(みうらよしお)さんの発案で、ワラビを採りに来る人から、入場料を取って道路を直そうということになったのです。

■入場料で当別から砂利を買った

 料金を集める役目を担ったのは、 踏切の近くに住んでいた佐々木猛(ささきたけし)さん一家でした。踏切のすぐ近くにヨシで作った小屋を建て、始めは1人5銭の入場料を取りました。入場料を集めた最後の年、昭和19年(1944)には1人20銭となっていました。
 ワラビ採りの人たちは朝6時半の一番列車で、1回に3百人くらい採りにきました。列車が出発のとき鳴らす警笛を合図に一家総出で踏切の所まで走って行き、券を売りました。今の曙ショッピングの辺りにまで、行列ができるほどのにぎわいでした。
 こうして何10円か貯めたお金で、当別から砂利を買ったのです。砂利は貨車で2台か3台、まとめて買いました。砂利屋さんが1台分だと面倒がって売ってくれなかったので、毎年ではなく1年置きくらいでした。今のキテネビルの前辺りに、貨車の引き込み線があり、そこから馬車で運んで道路に入れました。まずは薄く敷くくらいでした。
 当別の砂利は丸い形なので、歩くと周りによく飛び散りました。それでも少しずつ道路は良くなって、ワラビ採りの人にも大変喜ばれました。
 蓑輪早三郎(みのわはやさぶろう)村長になってから、手稲鉱山のズリ山の砕石をもらって、手稲に一台あった貨物自動車で、道路一面にびっしりと敷き詰めました。一時歩きづらかったのですが、それが基礎となって道路が沈むことはなくなりました。
 その後、手稲にも採石場ができ、立派な道路を造ることができるようになりました。

■札幌祭りが最盛期

 ワラビ採りは6月の札幌祭りころが最もにぎわいました。中には弁当を持ってピクニック気分で来る人もいましたが、ワラビ採りの人の中には、プロが50人くらいいました。その人達は朝1番に来て10時ころ帰り、また午後1時ころ来て夕方帰っていきました。
 プロの人達はワラビをゆでて、あくを抜き製品にして円山の市場に出荷していました。
 ワラビは祭りの煮しめに欠かせないものでした。プロの中には石狩・手稲通を通って新川の北側(今の前田森林公園の辺り)へ行き、笹の中に生えている太くて長いものを専門に採る人もいたといいます。ピークを過ぎた後でも人が途切れることはなく、9月の末ころでも日に10人くらいの人が来ていました。

■ワラビの思い出

 佐々木猛さんの弟、作松(さくまつ)さんも、牛追いをしながらワラビをリュックに採って帰ると、お母さんが木のあくでゆでてから包丁でたたき、みそ汁の実、おひたし、三杯酢にしてくれたのを食べたといいます。
 たくさん採った時は塩蔵したり、ゆでて日陰で干したりして保存し、いつでも水に戻して食べることができるようにしていたということです。

■意外なワラビの利用法

 昔、ワラビは食用以外にも、活用されていました。
 戦時中、三浦農場では泥炭を掘った後、馬で土を起こしワラビの根をほぐしてでん粉工場に出荷していました。ワラビからとれるでん粉はイモのでん粉よりもキメが細かいので粘着力があり、江別、野幌などでベニヤ板の合板を作る接着剤として使用されていました。
 根は太いもので小指くらいで、黒い色をしていますが、砕いてつぶすと白いでん粉が採れるのだそうです。

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