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更新日:2013年3月1日

5.馬頭観世音の碑

 手稲区には、多くの碑が建てられています。一つ一つの碑には、手稲区を築いてきた先人たちの心が刻み込まれています。その中で最も多いのが牛や馬を供養するための碑です。

■馬は家族の一員

 手稲は明治のころから、少しずつ畑や田が開かれていき集落が形成されてきました。機械に頼ることができない時代、その開墾作業のほとんどが人々の手で行われていました。
 そのような時代に、開拓者たちを陰で支えていたのは、牛や馬などの家畜たちでした。馬や牛は人や荷物を運び、田畑を耕す手助けをし、牛の乳は貴重な現金収入源として浮き沈みの激しい農家の生活を安定させてくれました。牛や馬のやさしい目は、疲れきった開拓者の心をいやしました。牛や馬は厳しい北海道の自然の中で苦楽を共にする同士であり、家族の一員でした。
 末田和夫(すえたかずお)さんは稲穂に生まれ、昭和14年(1939)から富丘(当時サンタロペツ)へ移りました。長い間、家業の農業に携わり、大変だった時代の農業を知る一人です。
 「どこも同じだと思いますが、馬は農家には切っても切れないものです。馬は人間と一緒で、家族の一員ですよ。だから死んだ馬を埋葬するために、土地を買って供養塔が建てられました。それが明治45年7月8日です。それから88年間ずっと、富丘の人たちは、毎年欠かすことなくその碑を守り続けてきました。馬に対して本当に感謝していますからねえ」と馬頭観世音の碑が建てられることになったいきさつを話します。
 そのころの富丘は半農型で、春から秋にかけて、馬と共に米、穀物の生産を行い、冬には手稲山のふもとから手稲鉱山の坑木として使う落葉樹を切り出し、馬で鉱山へ運んでいました。一年を通して、農家の人々の生活に欠くことができなかったのが馬だったのです。とても大きな存在でした。

■今も続く馬頭観世音のお祭り

富丘の馬頭観世音。かつて、この碑の前では盛大なお祭りが行われていました 富丘の馬頭観世音の碑は現在真妙寺(しんみょうじ)の境内に安置されていますが、最初は、富丘2条5丁目の国道5号沿い(以前はパチンコ大将軍があった所)にありました。
 7月8日は馬頭観世音のお祭りに当たります。この時期は、ようやく春からの農作業が一段落つくころです。これという楽しみがなかった時代、手稲神社祭などと並ぶ大きな催しとして盛大に行っていたそうです。昼は相撲、夜は余興で、戦前は浪曲師や旅回りの役者を呼んでいました。戦後は素人演芸に変わり、青年団が一手に引き受けていたそうです。1カ月前から練習が始まります。6月というと農家は大変忙しい時期でしたので、寝る時間も割いて、芝居や踊りの練習に励んでいたそうです。
 「毎日の睡眠が2時間足らずで、それが1カ月続くんですよ。本当に若かったからできたんですね」と末田さん、熱が入っていた様子を話しています。
 「今は余興、相撲がなくなって…時代の流れなんでしょう。でも1年に一遍、おはらいはいまだに続いているんですよ」

■区内各地に点在する馬頭さん

 馬や牛を供養する碑は富丘のほか、手稲本町、稲穂、手稲山口、前田、新発寒に祭られています。移設されたものもありますが、区内の各地で馬や牛と共に農業に打ち込んでいた人々の姿がしのばれます。
 昭和40年代に入り、自動車や機械が普及するようになるまでは、馬や牛は人々の生活に欠かせないものでした。前田自作農創設50周年記念誌の中では、「第二次大戦後、昭和40年ころまでは農耕馬の全盛時代。農家戸数43戸に農耕馬約70頭飼育されていた(一部略)」と記されています。
 区内各地に点在するこれらの碑は、牛馬と人が共に培ってきた歴史と、牛馬への感謝の気持ちを忘れてはいけないと語りかけています。
区内の地図

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