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更新日:2017年10月4日

手稲山テレビ塔建設時の秘話

手稲山山頂のテレビ塔等

札幌市内はもとより石狩平野を広くカバー(一部、電波が届かないところがあります)し、道内約半数の家庭へテレビの映像電波を届けている手稲山山頂のテレビ塔。ここには、地上波デジタルテレビの映像を送信する全放送局のテレビ塔があります。

最初にテレビ塔が山頂に建設されたのは1956年。当時、道内にはNHKと北海道放送(HBC)がありました。前者は市内大通にあるテレビ塔からの映像電波送信を検討する中、後者は当時珍しかった山頂からの電波送信(マウンテントップ方式)を採用。手稲山の山頂にテレビ塔を建設しました。

より広範囲に電波を送信できるこの方式は全国の放送局各社のモデルとなりましたが、その裏には建設時、様々な困難に立ち向かった人たちの姿がありました。

 

当時の手稲山は、人の背丈ほどのクマザサが茂っていてその中に細い山道があるだけで、時折ヒグマが出没することもあり人があまり寄り付かない峻嶮な山として知られていました。そんな手稲山山頂へのHBCの送信所建設は困難が予想され、無謀とも言われました。そのような声をものともせず着手した送信所建設工事は、当初の予想をはるかに超えて困難を極めた難工事となりました。

テレビ放送が開始される1年前の1956年(昭和31年)4月、冬山装備を整えヒグマに警戒しながら送信所建設に向けた測量が手稲山で開始されました。翌月5月には樹木の伐採を始め、これが進むと重機による道路建設工事に取り掛かり、岩盤が露出した箇所や急峻な斜面などの難関ではダイナマイトを使用して山を切り開いていきました。このため、作業には多数の重機が使用されたほか、伐採、岩盤爆破、道路仕上げなどに1日三百数十人が従事しました。9合目の難所では急斜面を前に工事の遅れを懸念し、ロープウエーなどの索道を山頂まで開設して機材を運ぶことも検討されましたが、斜度と強風が索道の運行条件に適さなかったため道路工事を敢行。8月には、山頂までの約11キロメートルのテレビ山道が完成しました。この工事は約3カ月間にわたり、延べ約3万8400人が従事する大工事となりました。

道路工事と並行して、送信所で使用する水を確保するため、給水施設の工事にも着手していました。山頂から約370メートル下に湧き水を発見し、3か所に揚水場を設けてポンプアップする工事を行いましたが、急傾斜で重機が使えず、ポンプ設備の資材の運搬は全て人の手で行われました。途中、井戸掘り職人による山頂からのボーリングも試みましたが、台風で櫓が風に吹き飛ばされて打ち切りになりました。

8月に始まった山頂での送信所や鉄塔の建設工事でも、台風の被害に悩まされました。風速40メートルもの風に仮設事務所や宿舎、構造物などは破壊され、全員ずぶぬれで中腹の宿舎まで退避したこともありました。この猛威が過ぎると今度は寒さと降雪が襲い、風雪による宿舎の破壊や鉄塔上での作業など山頂という過酷な環境での工事は困難を極めました。この年は台風が北海道に上陸し気象条件が厳しい年でしたが、積雪が2メートルを超える中迎えた年末12月30日、幾多の試練や困難を乗り越えついにテレビ塔を含む送信所の建物が完成しました。

建物完成後も、年明けに行った機器の搬入では、機器を積んだトラックが積雪で自走不能になりブルドーザーがけん引するもそのブルドーザーが走行不能になるなどの苦労はあったものの、1957年(昭和32年)の4月に、当時、全国で五番目、道内では初めての、民間放送局によるテレビ放送を開始することができました。 

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