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更新日:2017年11月22日

1.合併までの歩み

手稲のはじまり

手稲のはじまりは1872年(明治5年)、仙台藩白石支藩の約50戸が、上手稲に入植したことにはじまります。当時、上手稲は発寒村と一所でしたが、後に発寒村から離れ、手稲村と称することとなりました。

明治以前にも、移住者の記録は見られますが、その人たちが定住したのかは定かではありません。

その後、手稲村は小樽と石狩とを結ぶ交通の要所として発展し、酪農村としても発展してきました。

1940年代には、手稲鉱山が本格的な操業を始め、多くの労働者が移り住み、さらなる発展をしましたが、戦後は手稲鉱山の衰退に伴い減少することになります。

しかしながら1951年(昭和26年)の町制施行後は、産業振興に力を入れたことから、軽工業地帯や住宅地として再び発展し始め、町制施行から15年たった、1966年(昭和41年)、人口は3万人に達しました。

札幌市と手稲町の合併

札幌市と手稲町の合併の動きはそのような中でありました。

合併は戦前から話題になっていましたが、その動きが本格化したのは、1966年(昭和41年)札幌オリンピック開催が決定してからのことです。同年の6月、手稲町では、町議会に「調査特別委員会」が設置され合併作業に入り、翌年の1967年(昭和42年)の3月1日に札幌市と合併、手稲町の歴史に幕を引きました。

それから50年。2017年(平成29年)は、札幌市と手稲町が合併して50周年の節目の年となります。

合併する前の手稲町は都市化が急速に進む他都市の例にもれず、学校、道路など都市基盤の整備、飲料水やし尿処理などの問題が発生してきていました。

合併には反対意見もありましたが、都市基盤の整備が進むなど、合併が手稲町にもたらした効果は大変大きなものでありました。

今日の手稲の発展は、このような歴史を背景に築かれてきたものであります。

 

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