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更新日:2023年2月9日

水道創設期

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(当時の新聞に掲載された記事)

昭和2年(1927年)、橋本正治氏が札幌市長に就任しました。橋本市長は“百年の大計”として水道の創設に情熱を傾けました。同時に、水道の供用による技術的、経済的利点を考慮し、電気事業との併営案を進めました。昭和6年(1931年)、久しく待ち望んだ豊平川の水利権が認可されると、直ちに今までの設計調査に慎重な検討を加え、その年の9月5日、水道・電気事業併営案を市会(今の市議会)に提案しました。しかし、これは採算面や電気会社との関係もあって強い反発を受けることになり、実に会議日数43日、会期62日という空前の記録を残して、ようやく11月5日可決されました。両事業のうち水道については、当時は“地下水で十分だ”という考えが依然強く残っていたのです。

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(創設当時の藻岩第1浄水場)

市会での可決後、電気事業の国の認可がなかなか得られませんでした。そのため水道事業まで遅れることは市の将来に影響すると判断した橋本市長は、市営による電気事業を断念し、水道の早急な推進を図ることとし、昭和9年(1934年)2月認可を受け、同年6月、水道敷設の工事が開始されました。

当時は現在のような土木機械がなく、雪を踏んでの整地作業をするなど基礎工事はすべて馬や人力に頼っていました。この工事に要した人員は、50万2千人と記録されています。これは、世界的な不況に見舞われた時期でもあり、失業対策事業にもなりました。

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(創設水道起工式:昭和9年)

起工から3年後の昭和12年(1937年)、総工費約334万円を投じて藻岩第1浄水場をはじめとする水道施設が完成しました。藻岩第1浄水場は当時の新技術を駆使するなど最先端の施設でした。その年の4月から1日3万5千800立方メートルの配水能力で、1万8千戸、9万2千人を対象に通水を開始しました。これは当時の札幌の総人口20万4千人の約45%に当たりました。


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札幌市水道局総務部総務課

〒060-0041 札幌市中央区大通東11丁目23

電話番号:011-211-7007

ファクス番号:011-232-1740

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