ここから本文です。

藍

(あい)は、(あい)()めのせん(りょう)となる植物(しょくぶつ)で、世界(せかい)各地(かくち)(ふる)くからさいばいされています。

(きた)()(あい)歴史(れきし)は、明治(めいじ)15(ねん)(1882(ねん))、徳島(とくしま)(けん)滝本(たきもと)五郎(ごろう)中心(ちゅうしん)とする(いち)だんが篠路(しのろ)(むら)にやってきたところから(はじ)まります。

滝本(たきもと)たちは、(たい)へんな()ろうをしながら、あれた土地(とち)()(ひら)いて農地(のうち)(つく)り、そこに大豆(だいず)やソバ、トウモロコシなどのほか(あい)()えました。その(なか)で、さいばいにせいこうしたのが(あい)でした。(あい)()えたのは、出身(しゅっしん)()徳島(とくしま)(けん)(あい)(とく)さん()であったことや、(あい)さいばいのひりょうに使(つか)うニシンかすが、石狩(いしかり)(はま)(ちか)篠路(しのろ)()()れやすかったことなどが理由(りゆう)でした。

滝本(たきもと)は、(あい)()加工(かこう)して「すくも」というせん(りょう)(つく)り、全国(ぜんこく)にはん(ばい)しました。()()げはどんどん()び、(あい)さいばいはますますさかんになっていきました。

その()外国(がいこく)(やす)いせん(りょう)などの進出(しんしゅつ)により、(あい)さいばいは(すこ)しずつおとろえていき、やがてさいばいされなくなってしまいましたが、この(あい)歴史(れきし)(いま)でも「あいの(さと)」という地名(ちめい)や「(えい)(あい)高校(こうこう)」の名前(なまえ)となってのこっています。

昭和(しょうわ)59(ねん)(1984(ねん))ころから、篠路(しのろ)()(ひと)たちが中心(ちゅうしん)となって、「(あい)()め」という(かたち)で、(きた)()(あい)さいばいの歴史(れきし)をつたえる()()みが(はじ)まりました。げんざい、このような()いきの(ひと)たちと(きた)区役所(くやくしょ)がきょう(りょく)して、小学校(しょうがっこう)(あい)さいばいの歴史(れきし)(つた)える授業(じゅぎょう)(おこな)ったり、()みんに(あい)のたねを(はい)ふしたりしています。

滝本五郎
滝本(たきもと)五郎(ごろう)
藍さいばいの歴史を伝える授業
(あい)さいばいの歴史(れきし)(つた)える授業(じゅぎょう)

ほかのでんとう文化のなぞも調べてみる

  • 亜麻
  • 篠路歌舞伎
  • 新琴似歌舞伎
クイズに挑戦