• ホーム
  • 折々の手続き
  • お知らせ
  • 生活情報
  • まちづくり
  • 区役所窓口案内
  • 施設案内

ホーム > 南区の紹介 > 南区開拓夜話 > 簾舞通行屋と妻たち

ここから本文です。

更新日:2011年2月21日

簾舞通行屋と妻たち

簾舞通行屋

簾舞通行屋

 明治4年(1871)本願寺は原始林の中に一筋の道路を開削、そのため開拓史は旅行者開拓者の宿泊・休憩・馬の継ぎ替え所として、本府より4里半(18km)ミソマップに通行屋を開設した。屋守には函館軍川(いくさかわ)の通行屋であった黒岩清五郎(くろいわ・せいごろう)を特命をもって移住させた。
 精励格勤の清五郎は、新しい使命に燃え、明治5年(1872)春の訪れを待って、妻ヤエ、息子・嘉吉(かきち)を伴い移住し、ここに簾舞開拓の夜明けを開いたのである。
 通行屋とこれに通ずる新道のまわりは熊笹が密生巨木が茂りそのうえ狼や熊・鹿が徘徊して、身の危険を承知の生活がはじまった。官林の警護・旅客の接待・開拓使庁との連絡・食糧日用品の購入さらに原始林の開墾作業などで、なかでも札幌には片道一日がかりの難業で清五郎も並大抵ではなかったが、さらに留守を守るヤエは心細さとそのうえ家を見守る責任は容易でなかった。
 開墾は一家で力を合わせた。笹を刈り木を倒し根を掘り畑を作る苦労はまた大切で、夫婦が汗を流した結晶が簾舞開拓と発展のためでもあった。家長とその妻たちが力をひとつに精魂を尽くし通行屋の重責を果たした功績は大であった。
 初代清五郎と妻ヤエ、2代・卯太郎(うたろう)と妻ツル、3代・卯三郎(うさぶろう)と妻貴久栄(きくえ)の内助はひとつだった。
 「耕地はほとんど手起しで、自分達で20町歩を開墾したが、直径3尺位の木が生えていて大変な苦労だった。」-「熊・狼などおそろしかった。」-「食料は粟・いなきび・ひえ・そば・馬鈴薯・かぼちゃで、米はお祭り正月しか食べられなかった。」-「雪は多く8尺以上で、冬の伐木で春切株はハシゴをかけないと登れなかった。」-「買い物は秋口に札幌で買い冬の準備をしたし、11月3日頃には根雪になった。」-「家族の多い一家の面倒や公事に多忙な家長に代わっての家の取りしきりは並大抵ではなかった。」-「ヒビやアカギレが年中で、それでも愚痴を言わず家長を助け内助につとめることが女の道だとがんばってきた。」
 妻ヤエ、その子嘉吉がいなかったら通行屋の任を果たし得なかっただろうし、妻ツルの支えがあったればこそ卯太郎は開拓の難行を継ぎ、一家に繁栄をもたらすことが出来ただろうし、妻喜久栄の内助があったからこそ、卯太郎は通行屋という貴重な遺産を今に残し、財と恵みを子孫にもたらすことができたのだろう。つらつらと思いをめぐらしながら、黒岩家の系図や写真さらに陳列された遺品を深く味わいながら訪ねるようにしている。


トップに戻る   見学してきました

このページについてのお問い合わせ

札幌市南区市民部地域振興課

〒005-8612 札幌市南区真駒内幸町2丁目

電話番号:011-582-2400

ファクス番号:011-582-5470