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二見公園とかっぱ
昭和40年(1965)8月5日、1500の"かっぱ提灯"と"かっぱ祭り"の染めぬき浴衣を着た1500人の人びとが、街をあげての大群舞がねり歩き、訪れた観光客を喜ばせた、これこそが"定山渓かっぱまつり"のはじまりで、生みの親は札幌出身の漫画家大場比呂司(おおば・ひろし)だった。
『九州や四国では、渓谷のあるところには必ず渕があって、かっぱが住んでいた伝説がある。北海道だって渓谷があって渕があるところにかっぱの伝説があっても不思議でない。かっぱは従来空想による架空の動物で、実にユーモラスでどのようにも想像できる。北国のかっぱが街ぐるみ総出で群舞、なかなかいいと思うよ。』というアイデアからはじまった。
こうして2年目にははるばる九州熊本県の人吉市(ひとよしし)と「かっぱ祭りの交歓」が行われた。"縁むすびのかっぱ結婚式"だ。
"ミス人吉市"を千歳に迎え、サッポロビール支店長が媒酌人になって縁むすびの杯を挙げ、また札幌夏まつりにも参加するなど年2回目もたいへんな賑わいだった。
さて3年目は、宣伝のために道内の各地にキャラバン隊を出してのPRに乗り出した。
「かっぱ祭り参加団体申し込み」を受けるなどしたからさらに盛りあがり、祭りの当日、定山渓の街中には盛大な群舞がくりひろげられ、それに沿線住民の参加もふくめて一段と盛りあがり観光協会もこの企画協力に感謝した。
こうして、温泉街の繁昌を願った定山渓の人びとは、「かっぱ祭り」をもりあげることをひとつ心で努力することを誓ったのである。その後道内では名寄(なよろ)や、内地では青森県の小牧(こまき)温泉などをかっぱで縁むすびができた。
二見公園(ふたみこうえん)には「かっぱ大王」が鎮座し、じっと定山渓の湯けむりと訪れる客を見つめながら"温泉繁昌"を願っているであろうし、豊平川かっぱ渕では、伝説のかっぱ瀬川青年も"定山渓温泉繁昌"をかっぱ仲間と共に語り合っているかも知れない。とにかく=ふるさと定山渓温泉=は地域ひとつになって、"かっぱまつり"を継続していくことこそ、「かっぱ繁昌記」であろう。
平成3年(1991)には、20体のメルヘンかっぱがくわわって、さらに温泉客を招いている。
"かっぱ住むとこいい所 山と川とがあるところ かっぱ好きだという人は いいとこある人もてる人"
と、かっぱ音頭の歌声が渓合にいつまでも谿することを願っている。
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