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豊平峡
むかし豊平川上流に、北妙義(きたみょうぎ)(群馬)とか北耶馬渓(きたやばけい)(大分)と呼ばれた秘境があった。
大正15年(1926)漢詩人・国分青崖(こくぶ・せいがい)が「豊平峡」と命名して以来、定山渓を訪れる人の多くはさらに足をのばして豊平峡に入り、峡谷の美を探勝したという。
現在、豊平峡ダム遊歩道入口の辺りに「豊平峡」という碑が建っていて訪れる人びとにその昔を語りかけているが、これは昭和3年(1928)の「豊平峡探勝会(たんしょうかい)」記念の碑である。当時、帝室林野局(営林局)の塩沢健(しおざわ・たけし)支局長は「豊平峡を世に紹介したい」と考え、北海タイムスの協賛を得て"探勝会"を実現した。
晴れ渡った6月、有名な文人60余人を定山渓に招き、林野局の馬鉄でトロッコに分乗、目指す峡谷に入る。断崖絶壁が雲間にそびえ、その岩骨にえぞ松・とど松の見上げるばかりの老木がうっそうと茂って陽をさえぎる谷底をトロッコは進む。脚下には大小の岩間を縫いながら急流が走ったり不気味によどむ渕が続いたり。岩間に叩き落つる滝もあれば、白蛇がのたうつように見える"千丈瀧(せんじょうたき)"や奇岩の重なりに不気味によどむ。"大爺渕"など。炭酸水も湧き出て、赤土と呼ばれる温泉もあって、驚きと感動の声がしきりで、この企画は好評であった。
こうした探勝記録が、「豊平峡雅遊録(がゆうろく)」として世に紹介され、訪れる人さらに多くなったという。
いまも、中山峠から峡に至るには絶壁に目をすくませ、樹海からの広大な峡谷とダムの眺望は、そのむかしの仙境をしのばせてくれる。
昭和47年(1972)、札幌市の飲料用水確保のためにダム建設がすすめられ、峡谷美を世に誇った豊平峡は水底に沈んでしまいいまはむかしを知る人の語りぐさにとどまるだけになってしまった。
豊平峡ダムにはむかしの絶景はなくなってしまったが、ダムサイやレストハウスの展望台に立って、樹海に囲まれた湖面を眺める風景をとおして、訪れる人びとに、生まれ変わった豊平峡をとおして、仙峡のむかしを語り継いでいってほしいものである。
昭和3年(1928)
豊平峡探勝会 山の渓雲りてついて雨となりぬ 青葉どよもし落ちたきつ水
山下秀之助(やました・ひでのすけ)
薫風の豊平峡に入りにけり
青木郭公(あおき・かつこう)
清流や 岩根にからむ 山の藤
天野宗軒(あまの・そうけん)
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