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エドウイン・ダン記念館
明治9年(1876)開拓使の要望に従ったエドウイン・ダンは、真駒内に100haの原野と基地に、種牛64頭と少数の豚を移し官営の牧牛場を創設開拓に当たってより、昭和21年(1946)駐留軍による強制接収のため拡大開拓した牧場3,300haと建造物190棟の9,500坪を残したまま「上川郡新得町」に緊急移転し真駒内種畜場70年の幕をおろしたのである。
その後真駒内はキャンプ・クロフォードの返還により一部自衛隊の駐屯と共に"夢のニュータウン"構想によって近代的な団地が造成され、地下鉄南北線が開通、昭和47年(1972)札幌オリンピック冬季大会によって「アイスアリーナ」「屋外スピードスケート場」が建設され、一躍して理想的近代都市に生まれ変わっていった。
田園牧歌的な種畜場の面影は見られなくなったなかで、そのルーツをしのぶことが今でもできるのでそのいくつかを探訪してみることにする。
●真駒内中央公園にはダンの像があり牧柵も現存しているし、エドウイン・ダン記念館があって、ダンの業績を表現した絵画23点他が展示されている。またダンがはじめた「真駒内用水堀」の貯水池もある。
●真駒内用水堀はダンが開拓使に要請明治12年(1879)完成したもので、家畜の飲み水だけでなく、水車を設け肥料の粉末化に利用した。なおこの用水は平岸・豊平・上白石・白石と広い地域に水田や水車精米のための用水を長く供給していたという歴史をもつ用水堀である。
●ラーセン農場は現在の上町5丁目から緑町5丁目あたりにあった。
デンマーク人モーテン・ラーセンの農場。大正時代に入り地味の減少が深刻になったために北欧の有畜農法をとり入れることになり、大正12年(1923)5年契約でラーセン一家が移住して来た。北欧式の住宅と畜舎、家畜は農耕馬2頭、乳牛6頭、豚20頭、鶏50羽を飼っていた。ラーセン家が引き上げた後も有畜農業を通じて友好の和が長く続いた。
●この牧場70年のあゆみのなかでは、家畜の改良ばかりでなく、実習生を入場させて、指導者育成につとめた。真駒内種畜場で実習を終えた者たちが全国各地で優れた指導者・模範農家として活躍し、「真駒内種畜場は日本の畜産のメッカ」だとたたえられいまもなお畜産史上にかがやいている。
●ダンの牧牛場時代、明治12年(1879)ブドウを栽培したのがいまの柏丘で、記念の碑がある。また柏丘一帯は、この時代から採草地であったり薪炭材雑林地でもあった。
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