■ラベンダーのふるさと
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| ラベンダー畑 |
"ラベンダーは富良野"十勝岳を背景に初夏の風に揺れてほのかな香りを漂わせながら咲くラベンダーの花は、すっかり富良野に根づいてしまった。
さて、昭和のはじめ、南フランスを旅したひとりの日本人がいた。それは若き日の曽田政治(そだ・せいじ)氏(曽田香料(そだこうりょう)の創始者)だった。地中海の沿岸プロバンスの丘を、紫に彩り咲くラベンダーの色と香りに見せられた曽田社長は、「これを日本に育てられないものかな。」と心にしながら帰国した。
昭和12年(1937)種子5kgをフランスより輸入し、北見・札幌・千葉・長野・岡山の各地に試作したが、成育状況は札幌が良好という結果を得た。
曽田社長は、昭和15年(1940)南沢麻田農園(みなみさわあさだのうえん)(現・麻田志信(あさだ・しのぶ)氏)の土地約16haの委譲を受け、北斜面一帯にラベンダー耕作を始めた。麻田家はこの「香料作物」の栽培には一家を挙げて協力参加した。
その努力が実って、昭和17年(1942)日本ではじめて"ラベンダーオイル"の抽出に成功したのだからすばらしい事だ。こうして国内商品化にこぎつけたのも束の間で、時代は戦時下に入り食糧増産の国策上転作も止むなく"品種保存"で農場の一隅に細々と栽培し、ひっそりと戦後を迎えることができた。
昭和23年(1948)平和に転じ、ラベンダーオイルの生産が本格化することができ、南沢の産業振興に貢献できる時代が到来し、ラベンダーに加えて「ハマナス・バラ」などの栽培もはじまり活気に湧いた時代がいまも語られている。
北斜面全体が"香りの楽園"となり、見学で訪れる人が絶えなかったという。
こうしてラベンダー栽培熱がたかまり、全道各地特に富良野・ニセコ方面にも苗移植が広まりはじめた。
ところが、昭和40年(1965)ソ連などからの安い合成香料が国産香料をおさえ、昭和47年(1972)止むなく閉鎖の途を辿り、約30年にわたった"南沢ラベンダー"がふるさとから消えた。
現在"観光ラベンダー"として富良野の丘に息づいていることは嬉しい限りだ。
しかし、北海道のラベンダーが南沢麻田農園にはじまったその歴史だけは忘れることなく、"南沢にラベンダーの花と香り"を残したいものだ。
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