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三色アイスクリームと自助園バター
アメリカから帰国したばかりの長男・佐藤貢(さとう・みつぐ)氏(後の雪印乳業初代社長)と次男・昇(のぼる)氏(畜産家)の二人を伴い、残雪の発垂別八号の沢の土地下検べをする、宇都宮仙太郎(うつのみや・せんたろう)・黒沢酉蔵(くろさわ・とりぞう)らと共に北海道酪農経営を提唱する佐藤善七(さとう・ぜんひち)氏の姿があった。
大正12年(1923)土地検分後ただちに適地として37町歩を求め、米国オハイオ州立大学酪農学部を卒業習得した長男・貢(みつぐ)氏を中心に親子3人揃って、北海道における酪農経営夢の実現を生涯の事業にすべく「自助園牧場」を開園した。
この年真駒内牧種畜場においても地味肥沃化のためにラーセン農場を招き有畜農業実験をはじめた年でもあった。
"天は自ら明るく者を助く"というフランクリンの名訓を信じた「自助園」を園名にかかげて果樹園を山鼻に開いて十数年を経ていた。
はじめは重粘土のやせ地で、「権兵衛種まきや島がほじくる。」などとひやかされながらも、親子そろい一介の百姓という信念のもとに技術と研究を生かしながら努力した。
いっぽう牧場づくりにも懸命にとり組んだ。

自助園牧場
牛舎・サイロ・農具者・製乳室そして住宅などアメリカの建築技術を取り入れ石切山の軟石なども使って、 耐寒建設を工夫したり、川を利用し自家発電の装置を作り、建物の全部に電気がいきわたるようにした。
こうした努力で、自給堆肥で土地は年々肥え、乳牛も45頭に達し道内でも有名な牧場にと充実した経営が見られるようになったので部落の人びとも、その経営を学ぶようになってきた。
牧場では乳製品の製造に力を入れ、「自助園バター」の製造はもちろん 「自助園三色ブリックアイスクリーム」という"チョコレート・ストロベリー・レモン"三色三味の製品は、 日本ではじめての販売で、全国に名声を博したものだった。
こうして善七氏の親子経営の願望も名実を共にした「自助園牧場」の雄大な規模とエキゾチックな建造物、さらに数多くの名牛の生産と乳製品の創案に見学者は多く、親子3人と家族は勿論従業員も希望に燃えた。
しかし、こうした業績に対し、北海道酪農発展のために技術の指導や会社設立で親子が東奔西走すること多く、牧場経営を家族や従業員に任せることも多くなり、充実した継続も困難に至り、昭和16年(1941)20余年の歴史を閉じたのであった。
現在、川沿の藻南福祉会館前庭の「佐藤善七翁頌徳碑」が建設され、昭和32年(1957)2月2日82歳の生涯を終え、その業績がたたえられ、さらに長男・佐藤貢氏は雪印乳業名誉相談役として平成11年(1999)101歳でその生涯を終えた。
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