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ホーム > 南区の紹介 > 南区開拓夜話 > 嫁泣かせの峠だった

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更新日:2011年2月21日

嫁泣かせの峠だった

峠

 むかし北の沢と盤渓(ばんけい)は山ひとつ隔てた隣部落で、急峻で馬も通れず踏み分け道が1本あるだけで、部落同士の往来は思うにまかせなかった。それでも年に一度の村祭りには、若者たちは誘い合って往き来し、"山越えのロマン"が「嫁泣かせの峠」伝説を生んだ。
 「嫁入りには、婿さんに嫁入り道具を背負ってもらい一緒に峠を越えたのに、実家に帰るときは夏場は2時間で越えられるが、冬場は藻岩山を遠回りし一日かかる。雪が深く腰まで埋まるのをかき分けて進むのは女には無理だった。当時農家の嫁が2日間も家を空けることは無理な話。「目前の峠がうらめしかった。」と語る女がいた。昭和40年(1965)道々西野真駒内清田線が完成するまで続いた話だった。
 現在、峠の中程に「こばやし峠」の碑が建立され「産業観光開発道道促進期成会会長・小林新史(こばやし・しんし)」と刻まれている。峠はわずか4.2kmだが、この道の完成によって過密化する札幌の裏面を南・中央・・西を短距離で結び、産業・観光面は勿論市民の生活面においてもたいへん利便性の多い道路だ。
 =小林新史(あらお)自伝「開拓の碑」より=
 「私は明治34年(1901)1歳で北の沢に移住した。悪路で下駄・草履どころか裸足で通学、道路の大事さは身にしみて育った。だから道路開発は誰よりも真剣だった。」
 「峠の開発には、20人からの地主の諒解や盤渓や福井、西野に呼びかけ賛同してもらったり、役所も札幌市だけでなく道庁にも懇願陳情をした。これも北の沢の発展のためだと考え、公職の名をかりて陳情・請願をすすんでやった。部落からは独断だと批判されたが、後で判ってもらえると信じていた。」
 「このことをすすめるのに家庭をかえり見ない生活が多かったので、家族には迷惑をかけた。特に家内には苦労をかけたと思っている。」と述懐している。
昭和31年(1965)期成会結成
昭和35年(1960)開削工事開始
昭和40年(1965)ブルドーザーがすり落ちる難工事をのりこえ6年の歳月を経て11月完成
 喜びに湧く開道式の日、念願の峠に命名するに当って、この道路を夢見つつ努力した期成会会長の名と、そして漢字でなくひらがなの"こばやし峠"に合議決定したエピソードをのこした。
 こうして、いまはドライバーは車を止めて風景を眺め、ハイキングを楽しむ家族は峠を起点に自然を満喫し、厳しい"嫁なき峠"から、楽しい"こばやし峠"になったのである。


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