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更新日:2011年2月21日

ふるさとの川史話いっぱい

ふるさとの川

ふるさとの川

 豊平川がつくった土地、そこに育った札幌のまち。そのまちを"ふるさと"にして、しあわせの営みにはげむ私たちにとって豊平川は"ふるさとの川"である。
 しかも源流を南区におこし上流・中流にかけて区内を潤し区民の生活を支えてきた絆はふかく"母なる川"としても愛する思いはまたふかい。
 アイヌ語の「トイエ・ピラ」(崩れた崖)は豊平橋辺りの呼び名であった。川は「サッポロ・ベツ」(乾いた大きな川)と呼んでいたが、古川"フシコサッペロベツ"とまぎらわしいので、開拓使は川名を「豊平川」とし、地名を「札幌」と呼びように改めた。
 豊平川は、古くアイヌと松前藩との交易場所の時代があって一部の人だけに知られていたが、その後和人との出会いによって少しづつ世に紹介されていった。
 宝歴3年(1753)木材業者・飛騨屋久兵衛(ひだや・きゅうべえ)・文化4年(1807)探検家・近藤重蔵(こんどう・じゅうぞう)・安政4年(1857)漁師・瀬川伊兵衛(せがわ・いへい)・安政5年(1858)探検家・松浦武四郎(まつうら・たけしろう)・慶応2年(1866)定山渓温泉開墾・美泉定山(みいずみ・じょうざん)。
 これらの人びとが南区にのこした史話の足跡は大きい。
 豊平川流路約72kmの上・中流ミュンヘン大橋の辺りまでの史話を辿ってみる。
豊平峡から定山渓・小金湯辺りまで
 中山峠から望む国有林エゾ・トド松の大樹海は、札幌岳・狭薄山(さうすやま)・漁岳(いさりだけ)・空沼岳(そらぬまだけ)の果まで限りなく続く森林の中を林道に分け入る。
 豊平川の渓流に沿って、林鉄跡の先は定山湖となる。絶妙な峡谷美を誇った豊平峡(ほうへいきょう)は今は湖底、しかし林野庁「水源の森100選」に選ばれた新たな観光美は人を誘ってやまない。それにしても昭和3年(1928)の"豊平峡深勝会(ほうへいきょうたんしょうかい)"のむかしが偲ばれる。
 電気自動車で下ると札幌岳登山口あり、また豊平峡トンネルからハイキングコースで下ると"定山渓自然の村"がありいずれも一番通(川向いに二番通)を過ぎて温泉街に向う。
 豊橋(ゆたかばし)・新豊橋(しんとよばし)を国道に出ると銚子口が(ちょうしぐち)ある。
札幌最古(明治42年)の水力発電所の取水口である。明治百年の人々にある初代・地崎宇三郎(ちざき・うさぶろう)を偲ぶ。
 薄別川の流れをかかえ、土場で栄えた営林署を過ぎるとカッパ渕に出る。朝日岳が豊平川に迫る岩崖を背に映しながら奇怪石に絡む樹木が陽光をさえぎって流れだけがさえている。
 かっぱ住むとこいい所 山と川とがあるところ・・・・・・・・

月見橋

月見橋

 吊り橋を渡って二見公園(ふたみこうえん)のカッパ大王と対面すると、大場比呂志(おおば・ひろし)のかっぱ物語が想いだされる。
 右に月見橋や見かえり坂、左に岩戸観音(いわとかんのん)の温泉街に佇つ。松浦武四郎の湯浴みの仮寝とか、定山坊の湯治場開祖の難行などなどがしのばれる。湯けむりの立つ狭間の流れに高山橋(たかやまばし)と並ぶ大橋を過ぎ玉川橋を渡る。
 ふりかえると温泉プールやルンペン風呂のむかしが懐しくなった。
 錦橋(にきしばし)というのは、断崖の両岸にしがみついたように紅葉が燃えるための名づけとか、昭和のはじめ「舞鶴の瀞(とろ)」と呼ばれ、ボートを浮かべ屋形船での酒宴は人の目をうばうほどはなやかな光景が見られた時代があった。 豊羽鉱山(とよはこうざん)から流れでる白井川、札幌湖を作ったオタルナイ川が合流して一の沢ダムに流れこむ。
つりかごの渡し

つりかごの渡し 

戦後、木炭焼きでワイヤロープに滑車を仕掛けロープをたぐりながらのカゴが豊平川の両岸を結んだ"つりかごの渡し"が電車の人びとの目をうばった話が今も残っている。
 百松橋の川向いに営林署の苗圃(びょうほ)が営まれた時代があったし、橋上から眺める深く流れる渓谷美はいまもすばらしい。
 小金湯温泉はいまも3軒で近在の人びとにもなかなかの評判だ。ここは明治20年代平岸開拓の吉川太左ヱ門(よしかわ・たざえもん)という武士あがりが湯治場を経営したという、ここに道指定保護樹の7・800年の樹齢を数える桂の大樹が湯治客の信仰をいまもあつめている。
●豊滝(とよたき)・簾舞(みすまい)から藤野・石山辺り
 通行屋の古い歴史と札幌農学校の第四農場と御料地の開墾による開拓の先進地である簾舞は落ち着きを覚える。山容が剣が連ねたように見える八剣山(はっけんざん)が豊平川にせまって、長い間、砥山(とやま)部落を2分してきたが、平成11年(1999)八剣山トンネルの開通によって利便は一新した。さらにダムの左岸道が開削され、白川(しらいかわ)に続くと、果樹園が連なってあらたな開発が実現できることを望みたい。藻岩ダムと白川浄水場の施設もめざましい。

 昭和18年(1943)温暖で清澄なこの地をえらんだのは傷痍軍人のための療養所はいまは市民のだいじな療養施設南病院はいつまでもダムにその影を映しつづけてほしいものだ。
 昭和29年(1954)開園した十五島公園(じゅうごしまこうえん)は炊事遠足には最適で市民に喜ばれているが、もともとは大小の岩礁が川中に多く点在し、風景美はまことによいが、木材の流送時代は流送人夫にとっては最悪の難所だったことは今も語り継がれている。いま両岸の河川敷開発がつよくのぞまれているのは公園によせる市民の期待が大きいからである。
 石山辺りになると川幅が広くなる。新国道が川沿に結ばれ、白川線もひとつに石山大橋で硬石山(かたいしやま)の麓を走る。それにしても硬石山は赤茶けた肌を見せ、札幌開府と共に採掘し続けている山容がすっかり変り長い歴史を物語っている。むかしの石山陸橋経由はあらたな交通体系に変わって交通量をまかなっているが、230号線の交通量は想像以上の増加で困惑しているが、時代の流れで致し方ない。札幌軟石で栄えた石山の採石場は支笏湖線に移ったが、むかしの名残は"石山緑地(いしやまりょくち)"としてあらたに観光資源とし再生しようとするまちづくりの努力はすばらしい。それにしても昔を偲ぶ"望豊台(ぼうほうだい)"や"馬車鉄道"(トロッコ橋)の史話は石山から消してはならない。
おいらん渕から軍艦岬(ぐんかんみさき)ミュンヘン大橋辺り
 "おいらん渕"がいろいろな伝説を生んだことのひとつに、岩崖の厳しさと渕の青々と黒い程に淀んださまに魔を感じさせるところにあったのではないかと思われる。しかし流送の物語は事実であったろう。
 割栗岬(わりぐりみさき)の辺りは岬が突き出て増水すると渦を巻き八垂別(はったりべつ)からの往来に危険のともなった、と語り継がれており、藻岩下の史話のなかにも、時には暴れ川と化した豊平川の洪水が地域の開発に大きな災をもたらしたことは見のがせない。
 冬季オリンピックに架けられた五輪大橋が本道出身の彫刻家の作品がそれを飾っている。つぎに人とバイクだけが通れる藻岩上の橋そして新藻岩橋が両岩をつなぎ河畔道路の始点・終点になっている。
 軍艦岬は藻岩山の南端の尾根の先にあたり、昔は大通りの方からも見えていて「あそこまでが札幌で、その先は山の中だ」と言われたくらいに有名だった。
 南区と中央区の区界のように架かっている橋がミュンヘン大橋で、ドイツのミュンヘン市と札幌市の姉妹都市提携15周年を記念して計画され、豊平川としては32番目の橋として架橋された。これまでは実利的な面だけ強調されたが、ミュンヘン市庁舎などのレリーフが飾られたり、バルコニーを設けるなど新しいイメージの橋である。

 ふるさと豊平川と共に生きた先人の足跡をしのぶと共に緑豊かな南区のさらなる発展を願い、バルコニーに立つと、22条橋を遥かに河畔運動公園を散策する老人たちのさらなる輝きを望みながら南区開拓のむかしをしのぶと共に大札幌のいよいよの繁栄を願った。 


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