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更新日:2011年2月21日

アシリベツ山器械場

アシリベツの滝

アシリベツの滝

 昭和58年(1983)北海道発の国営公園「国営滝野すずらん丘陵公園」が設けられた滝野(アシリベツの滝にちなんでの字名)は、その昔「機械場(きかいば)」と呼ばれていた。
 明治5年(1872)開拓使は澄川に木挽小屋を建て、本府建設に必要な木材需要に供していたが、さらに奥地に良質な木材を求め、明治12年(1879)滝野に官営水車器械場を設置したのがその歴史のはじまりだ。
 開拓使の事業報告書に「十二年二月、厚別山(あしりべつやま)水器械所築造ニ着手ス、厚別(あしりべつ)ハ札幌ヲ距ル南方約四里満山椴松蝦夷松ノ類ニシテ水利アリ因ニ・・・・・・」とある。現在のアシリベツの滝の上で水車を動力にした製材所であった。
 開拓使が木材供給を急いだのも、この年から"豊平館(ほうへいかん)"の建設がはじまったことと関わりがあったと考えられる。
 器械場の人の出入りは非常に多く、造材夫・製材夫・人夫・行商人など、冬になると職を求めて数百人の労働者がどっと押しかけ、山々にこだまする杣夫たちの掛け声や馬のいななき、密林をきり開く活気はたいへんなもので、器械場をとりまく労働者のうごき、尾根伝いに木材を運ぶ人や馬そして製材を札幌に運ぶ人馬の列などはいっぱいで、夜ともなれば娯楽芝居の興業なども開かれたいへんなにぎわいであったという。
 こうして、大札幌創建のために最も生産をあげた厚別山器械場であったが、10年でその役目を終えるのでる。(参考 期間中厚別山での伐採石高2,786石7斗9升1合で現木数で2,460本)
 明治23年(1890)頃にはこの器械場が閉鎖されると、農耕地のない部落は、人びとはこの地を去りきのうまでは活気にわいたところも無人になって、その後空白になった10年間の記録はどこにもない。再び開拓がはじまったのは明治33年(1900)豊平開拓の功労者である阿部仁太郎(あべ・じんたろう)が貸し下げを受け、農地開墾を目的で開拓が始まり、小作として入った人たちは、木炭生産や製材所再開設をしながら山林を開き、大豆、きびやえんどうを耕作して農業を営んだが、開拓はいつの世もきびしく困難をきわめるものだが、滝野の場合冷害も多くさらには交通の不便さは大変な問題であったから滝野から離れる人が多かった。昭和28年(1953)追い討ちをかけるように滝野周辺の土地が米軍の演習地として接収されることになり、50戸が他に移ってしまい、ますます火が消えたように滝野が過疎に悩む時代もあった。
 パイロットファームは一時はわいたがならずだったが、「滝野すずらん丘陵公園」の開園を機会に"観光地の滝野"そして"機械場としてのとおいむかしの滝野"という歴史の流れを考えさせられる。


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