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更新日:2011年2月21日

石山軟石の今昔

軟石石切り場

軟石石切り場

 軟石(支笏噴火熔結凝灰岩)は、明治5年(1872)お雇外国人ワーフィールド、アンチセルが発見、大岡助右衛門(おおおか・すけえもん)の工事で陸橋の辺りに5棟の小屋を建て、明治8年(1875)から本格的な採掘がはじまった。
 地名は石山だが、"石切山(いしきりやま)"が懐かしくまたふさわしい。いたる処に穴があったり岩肌があったりして軟石採掘の跡が縁で縫うように残され、130余年の歴史を物語っている。
 開拓使は、本府建設にあたって石材を利用した洋風化建築をすすめたので、軟石は採掘の当初から需要が多く、明治8年で採掘量2万個、明治14年(1881)5万7千個と急増する需要ぶりであった。
 最盛期(大正から昭和にかけて)には年産30万個、石材店も100軒をこえた。 石工も300人もいて、石山は活気に湧いた時代だったという。「各石切場では、腹掛け半天姿にねじり鉢巻、草履ばきの大勢の石工達が威勢よく手掘りでつるを振っていたものだった。」とか「この辺りには一杯飲み屋が軒を並べていて、一日の仕事を終わった石工達が、半天を肩に引っかけて羽振りよく飲み歩いていたそうだ」など古老の話を聞く。
 採掘も露天掘りや横穴掘りいずれも危険が多く悲しい想い手を秘めている。 手掘り時代は長く石工の技術が問われるだけに期待も大きかった。長い手掘り時代からチェンソー式にかわったのは昭和30年の半ばころであった。
 ところが、あれほど人気の高かった軟石だったが大正時代にコンクリートが登場した。幅広い用途と低価格なコンクリートは軟石を追い抜き戦後は完全にコンクリートの時代になってしまった。あれ程栄えた軟石は急激に限定されてしまい現在は常盤方面に採石場を2ヶ所残すのみになった。しかし斜陽の石も自然のぬくもりと懐古的な風格をもつ「軟石」として残された資源が生きてほしいとねがう。
 石山の街を巡ると、"軟石のまち"ふさわしく、旧石切山駅舎前に建つ旧石山郵便局を訪ねる。現在、札幌ふるさと文化百選指定-昭和10年代建築で、アーチ型。玄関など洋風建築のおもかげをいまに残しているすばらしい-ポスト館である。
 また、後方には南北のブロックにそれぞれ軟石のむかしをしのばせ市民を誘うにふさわしいゾーンが設計され"石山緑地"も、ふるさと石山に繁栄の歴史をもたらした"採石場跡地"があたらしくよみがえり、いずれも"望豊台の碑"と共に、貴重な歴史遺産として保存に努めた地元の人びとの郷土愛に敬意を表したい。
幌都のみなみ 石山緑地 白灰(はくあ)の岩肌 緑に映えて
コロシアムに、 ジグラード 憩い広場に 佇立する
掘切り 割り出し 野取工 石工の打ち振る ツルハシは
切羽に谺し 「チャッキンコン」 生き抜く術は 試練に負けず
(石工友の会 渋谷光男(しぶや・みつお)作)


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