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平成7年(1995年)4月に、石山地区から分離した地区。
国道453号沿いにある石山東・常盤・石山8区・駒岡などの真駒内(番地)・滝野からなっている。
この地区の開拓は、明治8年(1875年)の石山における札幌軟石の採掘、更に明治12年(1879年)に滝野に設置した厚別水車器械所により、真駒内川上流の御用林の造材を行った。
農作地を開墾するために石山東に入植が始まったのは、明治12年(1879年)ころといわれている。しかし、本格的に定住が始まったのは明治30年(1897年)ころからである。
明治32年(1899年)常盤に苗穂監獄の分監が設けられたが、翌明治33年(1900年)移転、跡地は払い下げられ石川県人が開拓に入った。
現在の芸術の森地区は、明治30年代から定住者が増え石材・造材・農業を中心とした開発が続いた。
第2次世界大戦後、官庁の退職者が中心となって石山8区に入植し、駒岡・常盤などにも引揚者が入植した。
戦後は、コンクリートの普及による石材の需要が減少し、木材も戦後の混乱や台風の被害により資源が枯渇して衰退し、この地域は水稲と蔬菜を中心とする農業地帯となっていった。
札幌オリンピック冬季大会開催のために設置された道路を、昭和49年(1974年)に道道札幌支笏湖線(現国道453号)として開通。
支笏湖・千歳に抜けるバイパス路として交通量が増加。その後、常盤団地・アートパークタウン・サンブライト真駒内・駒岡団地が開発され人口の増加が続いた。
さらに、滝野すずらん丘陵公園・札幌芸術の森・市立高等専門学校・アートビレッジが続いてオープンし、この地区は芸術文化の国際的な活動の場となっている。
滝野神社 詳細画像を見る
青雲の志(碑)(石山こだま公園)
開拓碑(駒岡開拓記念会館横)
豊受大神(碑) 開拓記念碑 馬頭観世音(碑)(石山開拓神社)
常盤開基百年記念碑(大地の恵みと共に)(常盤神社)
記念碑(厚別水車器械所跡)(滝野すずらん丘陵公園前)
※「碑を訪ねて」は南区の郷土史の資料の充実を通じてふるさと意識の向上を図ることを目的に掲載しているものであるため、寺社等、札幌市が管理していないものも掲載しています。
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