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64.開拓農民の手で華々しく|65.手作りの回り舞台で|66.明治から続く伝統行事|67.漂泊の札幌二週間|68."幾山河越え"新琴似へ|69.生き続ける文豪の家|70.北のロマン漂う青春讃歌|71.道内芸術家の第一号
青春の哀歓を歌う。名歌が生まれた北大恵迪寮の南側に立つ「都ぞ弥生」碑。昭和32(1957)年建立
都ぞ弥生の雲紫に
花の香漂ふ宴遊(うたげ)の筵(むしろ)・・・
明治45(1912)年の北大恵迪(けいてき)寮歌「都ぞ弥生」は日本3大寮歌のひとつに数えられる。その美しい歌詞は寮生の横山芳介が書き、荘重なメロディーは赤木顕次がつけた。
横山は生まれも育ちも東京。稲も麦も知らない彼は故あって、農学部を志願した。
「文学への道を断念したことなど押えに押えた感情が北海道の大自然にふれて結晶したのが“都ぞ弥生”であったのかもしれません」
名歌詞の誕生した背景を、作詞者の令息横山芳男氏はこう書いている。
芳介は農学部卒業後、静岡で県の小作官を勤めたが、多くの農民に慕われつつ46歳の短い生涯を閉じた。
青春の哀歓をロマンたっぷりのメロディーに刻んだ赤木は、横山より1級上の予科3年。
後輩の名歌詞に感動した彼は、バイオリンを鳴らして悪戦苦闘の末、「都ぞ弥生」のあの美しいメロディーを完成させた。ところが、「素人の作曲だから専門家に手を入れてもらったらどうか」といった意見が寮生から出た。
「そんなことをするなら全面的に作曲を辞退する」
当の赤木は猛憤慨。これを恩師の有島武郎が支持して、横山、赤木の学生コンビによる寮歌が生まれた。明治45(1912)年のことである。
文豪、かつ二人の恩師でもあった有島武郎作詞の北大校歌「永遠の幸」より、弟子の作った寮歌「都ぞ弥生」が創基100年を迎えて今なお愛唱されているのは、皮肉といおうか愉快な話だ。
(「広報さっぽろ北区版昭和51年9月号」掲載)
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