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ホーム > 北区の紹介 > 歴史と文化 > エピソード・北区 > 第9章:文化の薫り > 68.幾山河越え"新琴似へ-牧水の来遊

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更新日:2011年2月10日

68.幾山河越え"新琴似へ-牧水の来遊

エピソード・北区

第9章:文化の薫り

64.開拓農民の手で華々しく65.手作りの回り舞台で66.明治から続く伝統行事67.漂泊の札幌二週間68."幾山河越え"新琴似へ69.生き続ける文豪の家70.北のロマン漂う青春讃歌71.道内芸術家の第一号

68."幾山河越え"新琴似へ

牧水の来遊

 

"幾山河越え"新琴似へ1

晩年の牧水

"幾山河越え"新琴似へ2

牧水が岩見沢から吹田、渡辺にあてた葉書=吹田晋平氏提供。「諸君に、牧水は逆上気味だといはれし由なれど、それはその場だけのこと…」などとつづってある

酒が回って「山のあなた」をしんみり朗詠

旅と酒と富士を愛した歌人・若山牧水。彼が喜志子夫人と同伴で新琴似村を訪れたのは、大正15(1926)年のこと。
この年、牧水は半折行脚(はんせつあんぎゃ)の旅で道内を駆け巡っていたが、その途中、門弟のいる新琴似村に旅装を解いたのである。
11月14日。いよいよ来村の日が来た。当時、村には白水春二、故智恵夫人、故渡辺欽二郎、吹田晋平(本名=菅進)の4人が牧水一門(『創作』社友)として名を連ねていたが、出迎えは年少の吹田の役目。
札幌の宿元へ迎えに行き、幌をかけたハイカラ自動車で新琴似村近くへ来たまでは順調だったが、運悪く車がパンク。おまけに雪は降る風は吹く。いまさら馬ソリを仕立てることもできない。やむなく牧水は、げたを脱ぎ足袋はだしで泥んこ道をスタスタ歩き出す始末。このとき吹田は「相済まないと背筋にヒヤ汗が流れ出た」とか

山のあなたの

宿元の白水春二宅(北区新琴似7の3)に夫妻が着いたのは、もうたそがれなずむころだった。
泥まみれの体を湯舟で洗い流すと、歓迎のうたげが待っていた。新琴似短歌会の面々、土地の風流人も顔を出した。村の閑静な風情を気に入ったのか、牧水は大いに飲み語った。
「山のあなたの空遠く"幸"住むと人のいふ…」酒が回ってカール・ブッセのこの詩を朗詠したというが、牧水は「山のあなた」をヒントに代表作「幾山河越えさり行かば寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく」を若き日に作歌したものと伝えられる。
翌朝、夫妻は雪の新琴似を後にした。牧水が死んだのはそれから2年後、43歳のときである。

二つの流星

啄木と牧水はまれに見る天才歌人で、近代歌壇の"二つの流星"といわれる。啄木は26歳という薄命の生涯を閉じたが、その臨終を見とった友人は牧水ただ一人であった。
啄木が北7西4の下宿屋に暮らしたのは明治40(1907)年。そこの姉娘ヒサにほのかな関心を寄せていたが、牧水の宿元白水春二の実弟は、新琴似小学校で彼女の教え子だった。
"二つの流星"の片影は、思わぬところでかすかに結ばれていた。

(「広報さっぽろ北区版昭和51年10月号」掲載)

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