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64.開拓農民の手で華々しく|65.手作りの回り舞台で|66.明治から続く伝統行事|67.漂泊の札幌二週間|68."幾山河越え"新琴似へ|69.生き続ける文豪の家|70.北のロマン漂う青春讃歌|71.道内芸術家の第一号
鹿(しかた)を意味すると推察される篠路獅子頭(ししがしら)
年ごとに見物客が増す篠路獅子舞=篠路神社祭りで
80年近くも続く"ふるさと行事"が北区にある。毎年9月8日の篠路神社秋祭り。その日、はなやかに演じられる獅子舞は、明治期から篠路町に伝わるものだけに、郷土芸能としても貴重な存在といわれている。
この「篠路獅子舞」の創始期は明らかでないが、かつて篠路町太平にあった烈々布天満宮(昭和41(1966)年篠路神社に合祀)創祀の明治32(1899)年ころには、すでに同天満宮の春秋2回の祭りどきに繰り広げられていたという。目的は、豊作祈願、豊年感謝、防火など村人の気持ちを獅子舞に託したものだった。
篠路獅子は、頭から尾まで6メートルという大きなものである。8人の大人がもぐり込んで操る。舞の形は4種類。「きょうぶりの舞」「さっさいの舞」「ひとあしの舞」「きりまぜの舞」で、今は前者2つが演じられている。舞い振りは「優雅で女性的。丘珠は雄獅子、篠路は雌獅子で、その存在は対照的」と篠路獅子舞の保存会の川口昭夫さん(農業)らは言う。
獅子の先頭には「獅子取り」と呼ばれる2人の子供がつく。ほかに笛、太鼓、鐘のはやし衆を含めて計20人ほどで構成。赤、青、緑の色鮮やかな衣装で踊るこの伝統行事は、祭りムードの盛りあげに欠かせない存在である。
篠路獅子舞は、どこから受け継いだものなのか。80年も昔のことだけに"空白の郷土史"として埋もれた部分も多い。
だが、発祥地の旧篠路村字烈々布村の開拓、烈々布天満宮の創建、いずれも富山県人が中心になっていることから、越中富山から伝承したことだけは確かである。
烈々布天満宮は、富山県東砺波郡城端町北野5036番地に現存する北野天満宮の"分霊"で、「富山県北野は古くからの獅子舞が数多く伝わっている。篠路、北野両獅子の演技音曲を慎重に比較しないと判断できないが、北野出身の開拓者が北野獅子を篠路で開花させた、ということは十分考えられる」富山・北野天満宮28代宮司・砺波(となみ)賢治さん(61)。
ご本家北野天満宮では、長年にわたって「雄」獅子舞が演じられていたが、4年前に途絶えている。また「雄、雌が決して共に舞うことはない」という"もの悲しい習わし"もあった。
「篠路に入植したじいさんたちは、北野獅子の悲しさと同じ心境でふるさとを離れたんだろさ」と子孫らは先人の胸中をしのぶ。
(「広報さっぽろ北区版昭和49年12月号」掲載)
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