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ホーム > 北区の紹介 > 歴史と文化 > エピソード・北区 > 第8章:記念碑 > 62.北区に集中する五角柱-地神碑

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更新日:2011年2月10日

62.北区に集中する五角柱-地神碑

エピソード・北区

第8章:記念碑

58.篠路の野に点在59.道内馬産史に異彩を放つ60.篠路の野に脈打つ山岳信仰61.いまに息づく大師講62.北区に集中する五角柱63.世界初の人工雪

62.北区に集中する五角柱-生まれは四国の徳島-

地神碑


北区に集中する五角中

五角柱の地神碑。市内に13あるうち10までが北区に散在している

「内地(本州)ならば庚申塚(こうしんづか)か石地蔵でもあるはずの所に、真黒になった1丈(3メートル)もありそうな標示杭が斜になって立っていた」(有島武郎『カインの末裔』から)。
開拓時代の北海道。あまりにも厳しい自然の中で、人々は1本の木にも生活のよりどころ、心の支えを求めようとした。区内の社や川のほとりで見られる地神碑もこうした先人の心の証しである。

珍しい五角柱

地神祭。春は五穀の豊穣(ほうじょう)を祈願し、秋には収穫を感謝する祭り。この神々を祭るのが地神碑である。区内の地神碑はすべて五角形の石柱で、それぞれの面に神名が刻まれている。
天照大神(あまてらすおおみかみ)(太陽の神)
稲倉魂命(うかのみたまのみこと)(食物の神)
少彦名命(すくなひこのみこと)(農耕の神)
埴安媛命(はにやすひめのみこと)(土の神)
大己貴命(おおなむちのみこと)(別名大国主命(おおくにぬしのみこと)農耕の神)
いずれも農業と深いかかわりをもつ五神である。区内ではよく見かける地神碑だがどこにでもあるものではない。市内では非常に珍しく、ほかでは南区定山渓に二つあるだけ。この地神碑はどこから伝わり、またなぜ北区に集中しているのであろうか。

ルーツは淡路島か

手掛かりはこの碑を建てた人の出身地にあった。「この地神さんを建てたのはおじいさんたち3人です。出身ですか。皆、四国の徳島ですよ」こう証言するのは太平の富樫たみいさん(86)。調べてみると確かに地神碑はいずれも徳島県人が入植した地区にある。
「地神信仰の発祥地は徳島県を中心とする瀬戸内海地方。北区の地神碑は神名の刻みかた方からみて、淡路から伝わったとも想定できるのでは」と札幌大学の梅原達治先生。区内に広がったのは「各集落が半径3キロメートル圏内にあり、お互いに何らかの交流があったからでしょう」。
全国から人が集まった北区。地神さんは入植者にとって最も切実な豊作を祈願する信仰だけに他県出身者にも受け入れやすかったろう。
今、夏草の陰から顔を出している地神さんは、区内に多くの徳島県人が入植したこと、他人の風俗、習慣を認め合う地域の交流、協調性があったことを語る。

家族ぐるみのお祭り

地神祭は春分、秋分に近い戊(つちのえ)の日に行われる。
「お酒や野菜、おもちをお供えしました。当番の人はいろいろなお煮しめを持ち寄ってね。そりゃにぎやかなものでしたよ。お菓子がもらえるので子供たちがたくさん集まって」と富樫さん。
地域の同じような民間信仰であるお大師講、こんぴら講が夜、家の中での大人の祭りであったのに対し、地神祭は昼。さわやかな陽光の下、田畑の仕事を休んだ大人と、お菓子を手にした子供たちが一緒に集う家族ぐるみのお祭りだった。豊作を願う厳粛な祭りなのに、ほのぼのとした温かさを感じさせるのは地神祭が南国発祥でもあるせいだろうか。
区内から農業が少しずつ姿を消していく今でも地神祭が続けられているところは多い。それは地神さんが単に信仰だけでなく、地域のふれあい行事でもあるからだろう。

(「広報さっぽろ北区版昭和59年10月号」掲載)

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