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更新日:2023年1月5日

61.いまに息づく大師講

エピソード・北区

第8章:記念碑

58.篠路の野に点在59.道内馬産史に異彩を放つ60.篠路の野に脈打つ山岳信仰61.いまに息づく大師講62.北区に集中する五角柱63.世界初の人工雪

61.いまに息づく大師講-民間信仰-

地蔵、馬魂碑、庚甲塚(こうしんづか)、地鎮碑・・・。

 

篠路山口の野に残る大師堂。弘法大師像や馬頭観音、地蔵が納められている

北34西6,田中文さんの敷地内にある一心神社碑

篠路釜谷臼に伝承される「御大師講」に使われる掛け軸と宮西頼母氏

民間信仰は、未開の北海道を開拓した人たちの心の支えであった。自然を神として、農作物を守る神として、あるものは親睦を目的として移住地に根ざしたのである。篠路町拓北の路傍に立つ「仙人庚甲塚」釜谷臼に伝承される「御大師講(おだいしこう)」北34西6の「一心神社」北6西7の「龍神碑」。区内あちこちに見られる地蔵尊、馬魂碑など、北区には今も、民間信仰は生きている。

毎月20日に大師講

篠路の「拓北農場」で開墾が始まったのは明治28(1895)年のこと。
昭和10(1935)年に記された故宮西頼一氏の自叙録をみると「翻然と志を立て、一旗上ぐ可(べ)く決意、徳島津田沖より依姫丸に便乗して故郷の山河草木に別を告ぐることとなりぬ」時を同じくして郷里徳島に伝わる弘法大師講が始められた。
戦前は釜谷臼、山口、学田の3カ所で行なわれていたが、いまでは釜谷臼だけ。伝承の仏具、掛け軸などが持ち回りで14戸の家に保管され、毎月20日には人が集い、祖先を懐かしむ。かつては村の青年たちの草相撲も行われていた。
旧山口部落に大師堂が馬魂碑とともに現存している。篠路の野を歩くクマから学童たちを守った「勉学の鐘」が納められている。
この明治28(1895)年は、拓北の野に道内でも珍しい仙人庚甲塚が建てられた年でもある。
また、トンネウス沼(篠路町拓北)のほとりに明治37(1904)年9月建立の地蔵尊が石ばちとともにある。
沼で水死した子供の霊を慰めるためという。

ユニークなポプラ額

札幌新道を横切る北34西6の住宅地。こんもり茂る林の中に「一心神社」がある。明治23(1890)年、鳥取県法美(ほうに)郡から田中長次郎ら約10戸が開拓農民として入植し、現在、昭和34(1959)年5月に建てた入地70周年を記念した石碑、鳥居、社殿が残っている。この神社に何が祀られていたのかは定かではないが、いまも6月11日には、近在の縁者が20人ほど集まり、祭りが催されている。
碑を建てた故田中松次郎の4男留之助の妻あやさん(59)は「移住当時は、草ぶきの社で、どっちを見てもアシばかりで、声はすれども姿は見えずという状態だったそうです。地下鉄が通るなんて思っても見なかったでしょうねぇ」「ポプラの奉納額なんてここだけじゃないですか」と述懐する。
そのほか、龍神の言い伝えを残す北7西6の「井頭(いのがみ)龍神」前では、毎年8月に地元で龍神祭りが行われている。茨戸福祉会館横に建つ地蔵菩薩も地区の老人クラブの手で年に一度、供養祭が行なわれる。
新天地での生活を守ろうという農民の願いと遠い故郷への愛着を込めた庶民信仰は、こうして日常生活のなかで守り続けられ、近代化の波に耐えて生き続け、暮らしの中に確かに息づいている。

(「広報さっぽろ北区版昭和52年8月号」掲載)

※茨戸福祉会館は姿を消したが、地蔵菩薩は今なお、住宅地の中に残っている。
(平成20年3月加筆)

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