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ホーム > 北区の紹介 > 歴史と文化 > エピソード・北区 > 第6章:産業 > 49.噴き出した太古の恵み-茨戸油田

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更新日:2011年2月10日

49.噴き出した太古の恵み-茨戸油田

エピソード・北区

第6章:産業

44.本道産業史の一ページを飾る45.荒地を開き藍を栽培46.思い出の米作り五十年47.肌のよさと柔らかさが身上48.亜麻の名残は町名に49.噴き出した太古の恵み50.札幌でたった八人の漁師

49.噴き出した太古の恵み-石油開発ブームを巻き起こす-

茨戸油田

 

噴き出した太古の恵み1

やぐら元のボーリング作業(石油資源開発(株)蔵)

噴き出した太古の恵み2

静かな田園の中にただずむポンプ井と集・送油所(石油資源開発(株)蔵)

噴き出した太古の恵み3

三つの集油所と一つの送油所が設置されていた(吾妻穣さん蔵)

石狩地方における最初の石油発見者は、篠路開拓の草分けである幕吏荒井金助であった。
「下宮氏記」によると、安政5(1858)年荒井金助が「厚田領蒙来(モウライ)(現・望来)海岸処に・・・石炭油噴出するを発見す」とある。これがのちの石狩油田である。

有力な油層を発見

そして茨戸は、北に石狩、厚田の両油田を控え、南は月寒種羊場の方で油の天然露頭が見られるなど、地質的状況からみて、油の存在が十分考えられた地域であった。石油資源開発株式会社が物理的な調査を加え、油層がありそうだというデータを得、試掘を決定。
従来の油田の開発対象は主に丘陵地帯であったが、茨戸においては平野部で探査を開始した。昭和31(1956)年、集油構造を確認。1・2号井では石油を含む主ガス層を認め、昭和33(1958)年の3号井では、深度400メートルで有力な油層を掘り当てるに至った。これは道内平原油田のはしりといわれ、茨戸油田開発のスタートとなった。
茨戸で今も農業を営んでいる上出長一さん(65)は「私の土地から褐色の油が噴き出て、新聞に"油量では日本第3位"と掲載され、村はもちろん近隣からも多数の見物人が押しかけるわ、畑の中にやぐらや施設がどんどん建っていくわで、畑仕事もろくに手につきませんでした」と当時のにぎわいぶりを語る。
またこの成功の報は札幌ならびにその周辺地域に石油開発ブームを巻き起こした。市内では丘珠、月寒、西岡。近郊では野幌、花畔(ばんなぐろ)などで、盛んにボーリングが行われたが、いずれも不成功に終わる。

道内産油量の91%を誇る

しかし、茨戸油田はその後も順調で、原油・ガスの販売を開始。原油は、茨戸―篠路駅間に油送管が敷かれ、ここから国鉄のタンク車で室蘭に輸送され精油。やがて、道内産油量の91%を占める。ガスは、茨戸―札幌市街地間16キロメートルの送ガス管により北海道ガス(株)で精製。都市ガスとして、約3,000軒の需要を満たすに至った。
昭和36(1961)年までに油井(ゆせい)は31本掘削され、旧石狩川(現茨戸川)の一部をはさんで南北2.6キロ、東西0.5キロと大油田となり、道内では、石狩油田に次ぐ史上2番目の産油量を記録した。
しかし、その後生産量は年を追って減少。昭和45(1970)年にはガス、翌年には原油の生産を中止。札幌市内初の油田として、数々の輝かしい業績を残し、茨戸油田は14年間の歴史を閉じた。
茨戸油田生みの親でもある理学博士の吾妻穣さん(60)は「技術、機械の進歩により地下3,000メートルまでの探査が可能になった今日、浅層掘削しかしていない茨戸ゾーンは、新たな見直しが必要ではないか」と語る。

(「広報さっぽろ北区版昭和53年11月号」掲載)

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