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ホーム > 北区の紹介 > 歴史と文化 > エピソード・北区 > 第4章:川と並木 > 35.地域住民の長年の夢、ついにかなう-新川さくら並木

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更新日:2011年2月9日

35.地域住民の長年の夢、ついにかなう-新川さくら並木

エピソード・北区

第4章:川と並木

24.血と汗の囚人労働で25."いわれ"はあだ名から26.長い木の橋27.茨戸川の誕生28.旅人宿を営む人も29.郷愁をそそるながれ30.創成川の中に神社があった31.子どもたちの遊び場だった創成川32.北大ポプラ並木33.目的は牛馬よけだった34.屯田防風林とともに生きる人たち35.地域住民の長年の夢、ついにかなう

35.地域住民の長年の夢、ついにかなう

新川さくら並木

 

地域住民の長年の夢、ついにかなう1

植樹は、子どもから大人まで地域のみんなが協力しました

地域住民の長年の夢、ついにかなう2

平成14(2002)年、満開の桜の下でのごみ拾い

北区を流れる新川沿いに日本一といわれる桜並木がある。この桜並木は、地域住民の手により植樹されたもの。今はまだ若木ばかりであるが、新川地区のシンボルとして、地域にすっかり根付いている。
都心部から石狩湾に向かい、12.5キロメートルにわたり一直線に伸びている2級河川新川水系(新川・琴似川)。地域の人たちからは、地区と同じ「新川」という名で呼ばれている。
この川の流れに沿って細長く横たわる新川地区。以前から地域住民が集まるたび、新川を地区のシンボルに活用できないかと話し合われていたようだ。そして今から約30年前、地元の自治会や老人会などから、新川の河川敷に桜を植えて地域の緑を増やしたいという声が上がった。しかし実際に取り組みを開始したところ、「堤防に植樹をしてはいけない」という当時の河川法の規制により、その夢はかなうことなく立ち消えてしまった。
それから歳月が流れた平成9(1997)年、河川法の改正により規制が緩和され、約30年前からの夢であった新川堤防沿いへの植樹が可能になった。早速、新川地区の緑化推進協議会と連合町内会が中心となり、再び計画が練られた結果、地元住民の手により新川堤防沿い、7.5キロメートルにわたり桜を植樹することに。この桜並木が完成すると、すでに植樹されていた手稲区側の3キロメートルと合わせ、総延長が10.5キロメートルの日本一長い桜並木となる大構想であった。
河川管理者である北海道への許可申請や札幌市への支援の要請、資金の調達などもすべて地域住民が中心となって進めたため、慣れないことの連続で並々ならぬ困難もたくさんあった。しかし、そのたびに皆で知恵を出し合い、夢の実現に向け努力を惜しまなかった。そのような努力が実り、桜の苗木を購入するための寄付金は、730余りの地元企業・団体・個人から2,800万円を超えた。また、桜の名所の一つ、松前町と松前観光協会からも苗木85本が寄贈された。
こうして、平成10(1998)年4月19日、地元住民約400人が参加して、第1期の植樹が行われた。そして、翌春には第2期、翌々春には第3期の植樹が行われ、平成12(2000)年4月24日、755本の植樹が完了。7.5キロメートルの桜並木がついに完成した。当初の5年計画に比べて2年も短い、3年間で成し得たのである。
それ以来、毎春、開花した桜の下では、地域住民の花見のうたげが開かれるようになった。平成13(2001)年には、地域住民の一人が作詞した「新川さくら並木のうた」も完成し、毎年、開花の時期に桜並木の完成を記念して行われる「新川さくらフェスティバル」などで、地元の合唱団により愛唱されている。新川さくら並木は、地域のシンボルというだけではなく、文化発祥のきっかけにもなったといえるだろう。
地域の人々が総力を挙げて取り組んだ「新川さくら並木」。毎年、春が訪れるたび、満開の桜の木の下にたくさんの笑顔があふれることは、新川地区の大きな誇りになるだろう。そして、この川、この木、この花、さらに地域の人たちのこの喜びはいつまでも後世に伝えられることだろう。

(「新・北区エピソード史(平成15年3月発行)」掲載)

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