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ホーム > 北区の紹介 > 歴史と文化 > エピソード・北区 > 第4章:川と並木 > 31.子どもたちの遊び場だった創成川

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更新日:2011年2月9日

31.子どもたちの遊び場だった創成川

エピソード・北区

第4章:川と並木

24.血と汗の囚人労働で25."いわれ"はあだ名から26.長い木の橋27.茨戸川の誕生28.旅人宿を営む人も29.郷愁をそそるながれ30.創成川の中に神社があった31.子どもたちの遊び場だった創成川32.北大ポプラ並木33.目的は牛馬よけだった34.屯田防風林とともに生きる人たち35.地域住民の長年の夢、ついにかなう

31.子どもたちの遊び場だった創成川-夢を浮かべて今も流れる-

創成川周辺の戦後のにぎわい

 

子どもたちの遊び場だった創成川

昭和28(1953)年、創成川(北7西1付近)の清掃の様子(提供:札幌市写真提供ライブラリー)

戦後の復興の中、創成川沿いの北八条付近はいち早くにぎわいを見せるようになり、交番や郵便局、製麻会社などが立ち並んでいた。川の両岸には商店街も形成され、そこに集まる人々で、周辺はいつも混雑していた。なだらかな傾斜の河川敷では、夕方になると1日の労働を終えた馬の体を洗う光景も見られた。また、この付近では、川の両岸を行き来するための簡単な木製の橋が周辺住民の手によりいくつも架けられていた。

創成川は遊びの宝庫

戦後の混乱も収まり、人々の生活がようやく落ち着いたころ、北八条付近に住んでいた子どもたちは屋外へ遊びに出されるようになった。最初は、当時まだ珍しかったデパートのエレベーターに乗ろうと中心街まで出かけていたが、やがて飽きがきて、家の近くで遊ぶことが多くなった。集まった子どもたちは、家の周りや川に架けられている何本もの橋を走り回って競争したり、周辺の湿地帯で遊んだりしていた。そのうち、いつしか誰からともなく創成川を遊び場とするようになっていた。当時、その辺りの創成川は、上流にある二条市場や工場の排水などで汚れていたが、下流の北十八条辺りまで行くと、水は澄んでおり、子どもたちの格好の遊び場となっていた。
遊びの内容はさまざま。川に飛び込み泳ぎ回ったり、自作の網や一工夫加えた釣り針を使い、数も種類も豊富だった魚を捕ったりしていた。また、木片を集めて舟を作り、誰の舟が一番早く目的の場所まで流れ着くかを競ったりもした。川は、子どもたちにとって遊びの宝庫だった。
「当時、川下の方にはヤツメウナギがいて、簡単に捕まえることが出来たもんさ。それを持って帰ると、晩酌のおかずになると、うちのおやじはとても喜んでくれたんだよ」と、付近で代々理髪店を営んでいる大川忠昭(おおかわただあき)さんは遊び盛りだったころの自分を思い返しながらこう語る。

姿を変えた創成川

現在の創成川は、札幌市の東西の起点として広く知れわたってはいるが、すっかり当初の役割を終え、日ごとにその影を薄くしていっている。札幌の歴史の中で、この川も発展の渦に巻き込まれ、造っては壊し、壊しては造り、何度も姿を変えてきた。子どもたちの格好の遊び場だった北8条から北18条付近は、今では護岸工事が施され、汚れた川のごみを拾いに下りる場所もない。川岸にたたずんで昔をしのぶにも、両岸の道路は自動車の往来が激しく、川に近寄ることもできなくなっている。「僕が子どものころは、この川が一番の遊び場だったんですけどね」と語る大川さんの表情は、どこか寂しげだった。

(「新・北区エピソード史(平成15年3月発行)」掲載)

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