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ホーム > 北区の紹介 > 歴史と文化 > エピソード・北区 > 第4章:川と並木 > 26.長い木の橋-新川・稲積(いなづみ)橋

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更新日:2023年1月10日

26.長い木の橋-新川・稲積(いなづみ)橋

エピソード・北区

第4章:川と並木

24.血と汗の囚人労働で25."いわれ"はあだ名から26.長い木の橋27.茨戸川の誕生28.旅人宿を営む人も29.郷愁をそそるながれ30.創成川の中に神社があった31.子どもたちの遊び場だった創成川32.北大ポプラ並木33.目的は牛馬よけだった34.屯田防風林とともに生きる人たち35.地域住民の長年の夢、ついにかなう

26.長い木の橋-新川地区と発寒北地区を結ぶ-

新川・稲積(いなづみ)橋

 

4代目?の木の橋(昭和41(1966)~53(1978)年)

最近、市内では木の橋を見かけることが珍しくなった。その多くはコンクリートや鋼鉄のものに架け替えられ、永久橋になっている。北区と西区との境界を縫い、北西に向かって石狩湾に注ぐ新川。この川にはまだ木の橋が残っている。

橋げたが13も

新川は競馬場裏を起点とする運河であるが、河川管理上では発寒川との合流点から下流をいう。その間約9キロに5本の橋が架かっており、新川市街地のはずれ約700メートルに「稲積橋」がある。全長96メートル、幅員3.3メートル。市内で最も長い木橋だ。コンクリート橋には橋げたが1つか2つなのに、この木橋には丸太を組んだ橋げたが13もある。その造形の美しさと遠くに見える手稲連山との調和がよい。日中は30分に1台程度、車が通るだけ。たまたま通りがかかった子供たちが家路を急ぐように渡っていった。
この橋は、農場主の名字に由来している。明治末期、小樽から稲積豊次郎が現在の西区・発寒北地区にやって来て、畜産農場を開いた。稲積農場と対岸の新川地区を結ぶこの橋はその名を取ったもの。この橋は、昭和41(1966)年に現在のものになるまで3回ぐらい架け替えられている。近くに住む土肥深さん(40)は「じいさんの代からここに住んでいます。子供のころ、よくこの橋を通って川向こうの人たちと遊んだり、回覧板を持っていったもんです。牧草や牛乳を積んだ馬車がゴトゴトとのんびり渡っていました」という。まさに、この橋は部落活動などで、新川地区と発寒北地区の橋渡し役だった。また「橋の上から石を投げたり、川ガニを捕ったり、格好の遊び場だった」という。朝夕のラッシュ時になると、混んでいる天狗橋を避け、ここを通る車が100台近くもある。重量制限5トン、対向車が擦れ違うことのできない稲積橋。ここにも、じわじわと都市化の波が押し寄せてきた。今年から、永久橋へ架け替え工事が始まる予定である。

(「広報さっぽろ北区版昭和55年2月号」掲載)

※現在は頑強な鋼橋に架け替えられ、幹線道路として大型車も往来する交通量の多い橋となっている。(平成19年3月加筆)

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