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更新日:2011年7月22日

除雪のあゆみ

札幌の冬の歴史

1869年に明治政府により、北海道の開拓を目的とした「開拓使」が設立され、札幌が北海道開拓の中心に位置づけられたことにより、発展の基礎がつくられました。

1871年には、道路工事、市街の測量などに着手すると共に、市街地を4km四方と定め、市街地の区を11,644平方メートルとし、それに約20メートルの道と、11メートルの中通りを設け、碁盤の目の市街区画としました。市街は大通で南北に、創成川で東西に分け、北は官庁街、南は商店・住宅街とし、現在に残る街路や都市公園の基本が、この時に形づくられました。

[ホルト設計による豊平橋]
ホルト設計による豊平橋

[ホイラー設計による豊平橋]
ホイラー設計による豊平橋

札幌の開拓には、アメリカ合衆国から多くの技術者たちがかかわりました。開拓顧問にホレス・ケプロンをはじめとして、土木分野では豊平橋を設計したホルトやホイラー、鉄道事業の技術指導を行ったクロフォード、農業のエドウィン・ダンなどの協力によって、専門技術の導入や機械など近代的なものを受け入れ、開拓の革新を図り札幌周辺の道路の骨格が形成されたのです。

[除雪に使用された三角ぞり]
三角ぞリ

その後、1922年に市制が施行され、1926年には本格的な都市計画事業に着手し、上下水道、道路の舗装、橋梁の修築などが整備されていきました。当時の冬の交通は馬そり。道路に積もった雪は馬そりが圧雪して道を付けていた状態でした。また人々はカンジキにより雪を踏み固めて歩いたり、スキーをつかって通学していました。このように雪に埋もれた冬は経済活動も停滞し、冬の間は寝て暮らす状況を余儀なくされていました。

[札幌市の市街地の拡大と都市施設]
札幌市の市街地

戦後の復興とともに、日本は高度成長時代を迎え、人々の生活水準も上がり、家電製品の普及や自動車の台頭でライフスタイルは一変。また札幌市においては1972年に開催された冬季オリンピックを契機に、人口も100万人を超えて政令指定都市となり、地下鉄、地下街、高速道路、幹線道路の整備が進みました。都市づくりが整うとともに、冬の快適な暮らしに対する要望も一層高まり、除雪は市民の冬の暮らしを支える大きな課題となってクローズアップされていったのです。

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