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更新日:2011年3月4日

道路建設の歴史

〔明治期〕

明治2(1869)年、札幌本府の建設を命じられた島判官は、円山の高台に立ってはるか東方を見渡し、街づくりの構想を練ったといわれています。京都の街づくりを参考にしたその構想は、札幌の広野を現在の南1条通りで南北に、また、すでに堀削されていた太友堀(創成川)で東西に分けるところから始まりました。この島判官の構想を生かしながら岩村判官は、60間四方の格子割による街区構成を利用し街の中央には58間幅の大通りを設定。

開拓初期の札幌市の道路

開拓初期の道路

北を官用地、南を町用地として本格的な街づくりを進めました。 明治6(1873)年に竣工した開拓使本庁舎の敷地は、南北は北1条から北6条、東西は西4丁目から西8丁目に及ぶ広大なもので、当時の人々が描いた札幌の街づくりのスケールの大きさに驚かされます。現在の北3条通りは、開拓使本庁舎の正門が本庁舎までの正面道路で、黒田清隆など当時の歴代開拓使長官やケプロン、クラークを代表とするお雇い外国人が常時往来していました。この年、函館札幌間の札幌本道の開通、明治12年には小樽銭函道路の開通など幹線交通網が整備され、それに伴って札幌周辺の移住地間を結ぶ小交通網も次第に整備されていきました。

〔大正期〕

大正期の写真

大正時代には、北海道でも都市の近代化が進み、各地で道路の舗装がはじまりました。札幌ではじめて道路舗装を行ったのが大正13(1924)年、この北3条通りの道庁正門前から駅前通りまでの117.27mでした。歩道はアスファルト、車道には木レンガ(木塊)を施しています。木塊は縦5寸(約15cm)、横3寸(約9cm)、厚さ2寸8分(約8.5cm)のブナ材を用い、クリオソート油にコールタールを混ぜた防腐剤を注入したものでした。 また、車道と歩道の境界として植えた32本のイチョウ並木は、荒川堤防用として育成されていた木を東京土木事務所から譲り受けたものです。赤レンガ道庁を背景としたイチョウ並木の景観は「さっぽろ・ふるさと文化百選」に選定され、現在も市民をはじめ札幌を訪れる観光客にも親しまれています。 大正12年に都市計画法適用、15年に市街地建設物法適用など札幌市へも都市計画関連法が適用され、昭和に入り本格的な都市計画事業が実施されていました 。

1バイパス1環状5放射道路(昭和43年)

昭和43年図

2バイパス2環状13放射道路(昭和63年)

昭和63年図

〔昭和期〕

昭和20年8月15日の終戦を迎えると、札幌は輝かしい発展の時代を向かえました。昭和26年北海道開発局が設置され、翌27年、北海道総合開発計画第1次5箇年計画の策定とともに、大資本を背景とする本州の有名商社が札幌に集中してきたため、都市規模が急激に拡大していきました。昭和30年代は隣接市町村との合併などによる人口増加に伴い団地造成や区画整理により都心部の改造が進みました。 昭和47年は、札幌市でアジア初の冬期オリンピックが開催され、地下鉄南北線の開業、政令指定都市に移行し、区制の施行によるきめ細かな道路行政ができるようになりました。
平成になった現在も他の公共交通機関との連携の中で札幌市の将来的な交通需要の量的増加や質的変化を見極め、「2連携1環状1バイパス11放射道路」という骨格幹線道路の整備を基本としながら、きめ細かな都市交通施策を推進しています。

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