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モエレ沼公園の西側にある中沼モエレ会館の裏側に、「水田発祥の史」と刻まれた記念碑が建っています。
かつては中野と呼ばれたこの地区の開拓は、明治27年、中野四郎による開墾が始まりとされています。
その後、大正2年に道から許可を得、翌3年に蒸気機関によってモエレ沼の水を揚げ、水田を造る画期的な計画がスタートしました。当時は、約80haの造田しかできませんでしたが、計画は徐々に進み、昭和4年にはディーゼル発動機を導入。14年には中野農事振興組合が結成されました。
昭和30年代には稲作も全盛期を迎えましたが、国の生産調整や市街化などにより、48年全面休耕、翌49年組合も解散となりました。
同組合が建立した碑が、静かにモエレ沼の水面を見守り続けています。
ちなみに、付近のバス停の名称も、かつては「水揚場」でしたが、平成17年に「中野中央」に変更になりました。
平成20年(2008年)6月記
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